眠れぬ夜と喋る虫

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 昭和生まれのうちの父親は、同世代の父親と同じく、かつての人気俳優「高倉健」さんの寡黙なイメージこそ男のあるべき姿と思いこみ、「男は人前で泣くな」とか、「男は背中で語れ」とか、そういった類の価値観を押し付ける人だった。  そもそも健さんのようなキャラクターではなく、ただ気が弱いだけの僕は、父親の教えに従った結果どうなったかといえば、感情を素直に出せない無表情な人間になり、内側に抱え込んだストレスで病気を頻発する、ただの病弱な男になってしまった。  父親から離れて暮らすようになってもその性格は変わらず、部屋で一人で泣くぶんには問題ないと分かっていながら、狭いアパートの壁越しに隣人に聞かれてしまう気がして、 泣きたい時は夜中に外に出て河原で泣く。  今日は熱帯夜だ。夏が来たのだ。  昼にはない景色が、そこにはある。  夜空をゆったりと飛ぶ旅客機の光。遅くまで起きていると思われる、高層マンションの灯り。物影で密着するカップル。夜中に走っているランナー。  意外と人がいるので、すれ違う時に涙を拭かなければならないが、基本的に暗いのでお昼ほど気にならない。  歩いていると、痛みをごまかせる。  自分はどうしてこんな人間になってしまったのか。  落ちぶれた人生は、もう立て直せないのか。  堂々巡りの自己憐憫で涙はこぼれるし、泣いたって何にも前に進まないことぐらい分かってる。  でも、部屋に閉じこもっているよりずっといい。  なまぬるい風に汗がじっとりと湧き上がってくるが、生きているという実感が得られる。  橋にさしかかる。深夜にもかかわらずトラックはばんばん走っているし、暴走族改め珍走団の連中も近所迷惑千万な大音量で走り抜ける。  ここから飛び降りたら、全て楽になるのかな。18歳の若さで急逝したアイドルの子に会えたりするのかな。でもあの子は向こう側でも人気だと思うから、死後の世界があるとしても会えないかな。  橋の下を流れる黒い流れを横目に、そんなことを考える。  考えるだけ。実行する度胸があるならもうしてる。  父親はどうでもいいが、母親を悲しませたくないし。  自分が死ぬ場面を想像すると、また涙が出てくる。  どうしてだろう?  きっと僕はまだ、生きたいのだろうな。みっともなくても、きっと生きたいんだ。 「殺してやろうか?」 「あ?」  どこからか声がした。
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