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「きっと、君にはわからないよ」
彼女はそういうと、校庭の方に視線をやっていた。
俺は、それに頷くでも、否定するために首を振るわけでもなく、ただただ朴念仁のように突っ立っていた。
首筋から汗が流れた。
果たしてそれは、気温や湿気のせいで流れているのか、それとも俺の緊張からくるものなのか。俺にはわからなかった。
「わかりませんよ、そんなの」
その瞬間、彼女は振り向いた。
振り向いて見えた彼女の顔は歪んでいた。怒っているのか……それでいて泣きそうな、そんな表情。
いつもの冷静で、冷淡な彼女からは想像もつかなかった。
沈黙。
校庭から聞こえる野球部の声が、やけにステレオで耳に残る。
俺は空に視線を向けた。積乱雲がこれからくる嵐を予兆しているようだった。
「別に、あなたに関係ある?」
視線を逸らしていた俺に降りかかる、彼女のきっぱりとした拒絶。その言葉はボディーブローのように、俺の三半規管に効いてくる。
そうだ。俺と彼女は他人だ。だから関係ない。彼女がどうなろうと、俺には関係ない。
「無いです」
「……」
「だから、言ってるんです」
その言葉の意味を、どうとらえたのだろうか。彼女の瞳に、少しの驚きが混じっていた。
でも、その反応は俺が求めていた反応だった。
「もう……休みが始まるまで、何日もないから。だから言ってるんです」
「……」
「でなきゃ俺……」
休みが始まれば、俺と彼女に接点はほぼなくなってしまう。
だから、俺は、今ここで、彼女に話をしているのだ。
「……それは脅してるの?」
「かもしれません」
ノータイムで返答したその言葉に、彼女は唖然とした。
が、その後すぐに噴出すと、お腹を押さえてケラケラ笑い始めた。
そんな彼女の姿を、俺は見たことがなかった。彼女を見るときは、いつも冷たい流し目と、冷めた物言いだけだ。
胸の奥が熱かった。彼女の表情を崩したことが、彼女の笑顔を見られたことが、こんなにも自分の感情を揺さぶるとは思ってもみなかった。
「君……面白いね」
涙を拭いながら、彼女が答える。
彼女の黒く長い髪が、風に撫でられていた。
「いいよ。君の提案を飲もうじゃないか」
彼女が差し出した手を、俺は迷いなく握った。
長い夏季休業が始まる手前、俺はなんとか滑り込みで彼女との関係を持つことに成功した。
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