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――暑い夏の日でした。
その日はいわゆる真夏日で、小学生だったわたしはランドセルを背負ったままふらふらと帰り道を歩いていました。
もうすぐ夏休みとはいえ、真夏日の暑さは身体に堪えます。特に小学生のころでしたから、今よりも当然身長が低く、そのぶん照り返しの熱がじりじりと肌を焼きました。
そんな暑い盛りに、おばあさんが一人歩いていました。
和服姿で、杖を持った小柄な人。
綺麗な紫の、薄い布地がすずしげなのに、おばあさんは歩くたびに暑いのでしょう、額の汗をハンカチで拭っていました。
「おばあさん大丈夫ですか」
その頃からお節介だったわたしはつい話し掛けていました。おばあさんは話し掛けられたことに目を丸くして、それからホホホ、と微笑みました。やさしげな、上品な微笑みでした。
「ええ、大丈夫よ。もうすぐね、わたしの孫が生まれるの。それで病院に行こうとしていたのだけれど、いやね、年をとって腰を悪くしてからうまく歩けなくて」
そう言うと、また一歩、一歩と杖をついて歩き出します。
私はその様子にはらはらして、その人の手を支えるように手を伸ばしました。驚いた様子のその人に、わたしはにっこり笑顔を返しました。
「困った時はお互い様です」
するとそのおばあさんは小さく頭を下げて、ゆっくり歩き出します。わたしも手伝いながら、何となく誇らしい気持ちになりました。
それにしても不思議なのは、このおばあさんの着物を何処かで見たことがある気がすることでした。家に帰ってから茶道をやっている母に聞こうと思いつつ、三十メートル程付き添って歩いたところで、ふいとその姿が消えてしまったのです。……まるで陽炎のように。
――ありがとう、その言葉は聞こえた気がしました。
帰宅して母に紫の薄い布地の着物のことを尋ねると、母は驚いたように和箪笥から着物を持ってきました。まるで同じもの。
「これはあなたのひいおばあさんの形見でね」
……あれはわたしの曾祖母だったのでしょうか。生まれた孫というのは、もしかして夏生れの母のことだったのでしょうか。
今となってはわかりません。まるで陽炎のように淡い思い出です。
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