111人が本棚に入れています
本棚に追加
/607ページ
エピローグ
御崎坂高校から5km程離れた所の丘の上にある医院、能登医院。
その一室に、小野坂玖実は座っていた。その向かいには白衣を着た医師の能登治史が、某人の検査結果が書かれた書類を手に座っていた。
「…予断はできない、」
書類を玖実に手渡すと、治史は感情のない事務的な口調で言った。
「正直、覚悟もしといた方が良い。」
「そうですか。」
あらかじめそう言われる覚悟はしていたのか、玖実も特に感情を出さずに頷いた。
僅かな間沈黙が流れた。
だがすぐ玖実が口を開いた。
「この事は、決して誰にも話さないで下さい。」
「ああ。」
治史は機械のように頷いた。
玖実は書類に目を通しながら、
「…沙月にこれを教えるかどうするかは、私が決めます。」
感情のない、冷静な口調で言った。
「…。」
治史は何も答えなかった。
その後、医院を出た玖実は歩いて自宅に向かった。
…どうであろうと、私の使命は変わらないわ…。
県道沿いの歩道を歩きながら、玖実は悲しみを堪えつつ考えた。
(…沙月を必ず幸せにする…それが私の使命…)
玖実の頬に、ひとひらの花びらが舞いついた。
…。
玖実はそれを手に取り、ふと市内を眺めた。桜の花びらが大気中に舞い吹いており、春の美しさを感じさせた。
(…最後の春…)
そうなるかもしれない。
「…いけない。」
玖実は打ち消すように花びらを握った手を胸にぐっと当て、美しい春の空を仰いだ。
そして、
(…あの子…沙月の人生を幸せなものとする為に…。)
何度も心に誓った。
******
玖実が帰った後、医院の外では白衣を脱ぎワイシャツ姿になった治史が、無表情でパイプを吸いながら春の町並みの風景を眺めていた。
と、その足元に黒と白の模様をした一匹の猫が駆け寄って来て、治史の足首に顔を寄せた。
「おうノック。そろそろ飯の時間か。」
パイプから煙を吐きながら他人には見せない笑顔でそう言うと、治史は猫と一緒に医院の方へ戻っていった。
春。
新しい季節が始まろうとしていた。
序章篇 終わり
最初のコメントを投稿しよう!