第0章最終話『始まりの春風』

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エピローグ 御崎坂高校から5km程離れた所の丘の上にある医院、能登医院。 その一室に、小野坂玖実(おのさかくみ)は座っていた。その向かいには白衣を着た医師の能登治史(のとはるし)が、某人の検査結果が書かれた書類を手に座っていた。 「…予断はできない、」 書類を玖実に手渡すと、治史は感情のない事務的な口調で言った。 「正直、覚悟もしといた方が良い。」 「そうですか。」 あらかじめそう言われる覚悟はしていたのか、玖実も特に感情を出さずに頷いた。 僅かな間沈黙が流れた。 だがすぐ玖実が口を開いた。 「この事は、決して誰にも話さないで下さい。」 「ああ。」 治史は機械のように頷いた。 玖実は書類に目を通しながら、 「…沙月にこれを教えるかどうするかは、私が決めます。」 感情のない、冷静な口調で言った。 「…。」 治史は何も答えなかった。 その後、医院を出た玖実は歩いて自宅に向かった。 …どうであろうと、私の使命は変わらないわ…。 県道沿いの歩道を歩きながら、玖実は悲しみを堪えつつ考えた。 (…沙月を必ず幸せにする…それが私の使命…) 玖実の頬に、ひとひらの花びらが舞いついた。 …。 玖実はそれを手に取り、ふと市内を眺めた。桜の花びらが大気中に舞い吹いており、春の美しさを感じさせた。 (…最後の春…) そうなるかもしれない。 「…いけない。」 玖実は打ち消すように花びらを握った手を胸にぐっと当て、美しい春の空を仰いだ。 そして、 (…あの子…沙月の人生を幸せなものとする為に…。) 何度も心に誓った。 ****** 玖実が帰った後、医院の外では白衣を脱ぎワイシャツ姿になった治史が、無表情でパイプを吸いながら春の町並みの風景を眺めていた。 と、その足元に黒と白の模様をした一匹の猫が駆け寄って来て、治史の足首に顔を寄せた。 「おうノック。そろそろ飯の時間か。」 パイプから煙を吐きながら他人には見せない笑顔でそう言うと、治史は猫と一緒に医院の方へ戻っていった。 春。 新しい季節が始まろうとしていた。 序章篇 終わり
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