0人が本棚に入れています
本棚に追加
もちろんロープを垂らして降りる事は不可能。何故なら、Ygd―ti―1は樹冠帯の真下にあるわけではないからだ。樹冠帯とYgd―ti―1は垂直方向だけでなく水平後方にも離れていた。
だが、降りるだけではなく、元に戻る方法も同時に開発しなければならなかった。そこで、隊員達はまず、世界樹の幹を途中まで引き返して、旅の途中で発見した非常に頑丈な蔦を採集してくる事にした。将来、常時往還出来るように路を作る為にも必要な素材だった。ただ、問題はその重さだった。蔦は丈夫なだけでなく非常に軽かったが、32km分の素材だけで14トンに達する。それを一度に運んでくる事など、伝説に謳われた超典種で無ければ不可能な事だった。蔦のある地点まで往復するのに四ヶ月。隊員達は14トンの素材を20回に分け、五年もの歳月をかけて全ての素材は樹冠帯に運搬した。
幸いだったのは、蔦の素材は様々な用途や将来的な浮島との往復路の工事に必要と思われた事から、その運搬を三年前から開始していた事だった。その三年間での運搬は、途上の世界樹調査を兼ね、一回ごとの運搬量も少なかった事から、実質的に一年間分の素材しか集められていない。従って、残りの素材を集めるのに更に四年間が必要だった。
そのあまりにも馬鹿げた長さのロープを作成する前に、もちろん蔦の強度を確かめる実験も行った。だが、実験では蔦が一度も千切れた事がなく、その限界荷重は確認出来なかった。そこに不安はあったが、実験で破断しなかった以上、物理学者等の反対意見は少数派であり、計画は推し進められる事となった。
蔦を集める間もロープは作成され延長されていき、気球が作られていった。
そして四年が経った。
基地で唯一の赤子は見違えるほど成長していた。赤子が初めて彼らの母国語を話した日、彼ら全員がその日は手を休めて祝った。そして、彼の誕生日と共に毎年、その日はパーティを開く事が決められた。
最初のコメントを投稿しよう!