蝉じいさん

1/6
前へ
/6ページ
次へ

蝉じいさん

 毎年、夏休みになると、雅人(まさと)は祖父母の家に泊まりに行く。  雅人が両親と暮らす家と同じ市内にあるのだが、祖父母の家は山のふもとにあるぶん、自然が豊かなのだ。毎日、虫かごと虫とり網を持って、林のなかを歩きまわった。  林のなかに神社があった。  古びた小さな社だが、とてもご利益があるのだそうだ。  どんな神さまが(まつ)られているのか、子どもの雅人にはわからなかった。  神社の近くは昼でも薄暗くて、なんとなく気味が悪いので、なるべく近よらないようにしていた。  木洩れ日が金色にさす昼間。  小川に蛍の光が妖しく舞う夕刻。  でも、雅人がもっとも夢中になったのは早朝だ。  真っ赤な朝焼けが東の空の端を染めるころ、神社の林のなかへ入っていくと、たくさんの昆虫がとれた。  クワガタやカブトムシ。  セミやカミキリムシ。  大きな目玉のもようのある蛾なども。  あれは何度めかの早朝のことだ。  ある朝、雅人は神社の近くで変な音を聞いた。ザッ、ザッ、ザッと土をほるような音だ。  早朝のまだ暗いうちだから、もちろん一人ではない。祖父にたのんでいっしょに来てもらっていた。しかし、元気に走りまわる雅人は、いつのまにか、祖父からかなり離れてしまっていた。  怖くなって祖父を呼ぼうとしたが、そのとき、すうっと人魂を見た。いや、よく見れば、懐中電灯の光だ。誰か人がいるのだ。  いったい、何をしているんだろう?  気になった雅人は、ドキドキしながら、音のするほうへ近づいていった。木のかげにかくれながら歩いていくと、誰かが大きな杉の木の下に穴をほっている。  それはご神木と呼ばれる杉だ。  ザッザッザッ。ザッザッザッ……。  そのうち、男の姿は穴のなかに沈んで見えなくなった。そうとう深い穴をほっている。  男の頭がかくれたときに、雅人は思いきって、もっと近くまで行ってみた。真横の木のところまで移動する。  ちょうど、そのとき、男が穴からあがってきた。  雅人は木のかげに小さくなった。男に見つかるんじゃないかと心臓が激しく脈打った。  しかし、男は雅人には気づかなかったようだ。  穴から、はいあがってくると、杉の大木の裏側から、何かをひきずってきた。  ゴミを不当投棄する気だ——と、雅人は思った。  だが、男のひきずるものが目の前を通ったとき、自分の思い違いを知った。  それは、ゴミなんかじゃない。人だ。  人間の死体だった。  しかも、知らない人間じゃない。 (蝉じいさんだ!)  それは地元で、蝉じいさんと呼ばれている老人だ。カブトムシやクワガタの幼虫を育てて、お祭りや町のスーパーで売っている。蝶や珍しい虫を捕まえることもあるが、蝉はお金にならないので、近所の子どもに、ただでくれる。  それで、あだ名が、蝉じいさん。  虫を売ったお金をけっこう、ためこんでいるというウワサがあった。  雅人も以前、蝉のサナギをもらったことがある。  町なかで蝉は、壁にとまってジイジイ鳴くだけのやかましい存在だが、サナギが脱皮する瞬間を見たときには感動した。  そのときの蝉のぬけがらは、今でも宝物としてとってある。  だから、死体が蝉じいさんだと知って、とてもショックだった。  月光のあたりかたのせいか、死体の顔は見えたが、それをひきずっていく男の顔は見えなかった。  男はハアハア息をつきながら、穴のなかへ蝉じいさんをなげいれた。そして、雅人に背をむけたまま、ザクッ、ザクッと、今度は穴を埋め始める。  ザクッ、ザザザ……。  ザクッ、ザザザ……。  あっというまに、蝉じいさんの顔は見えなくなった。  ちょうど、そのときだ。  遠くのほうで声がした。 「——おーい。雅人。どこにいるんだ? 雅人ォー!」  祖父の声だ。懐中電灯をグルグルまわして、雅人を呼んでいる。  懐中電灯の光がだんだん近づいてきた。  男はあわてふためき、シャベルを片手に走り去っていった。 「おーい。雅人か?」  数分して、祖父がやってきた。  雅人はだまって祖父にしがみついた。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

27人が本棚に入れています
本棚に追加