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待つ方の気持ちを斟酌しない、いやむしろ、斟酌してなお我を通そうとする方が彼女らしい。無論、そんなことを彼女自身に言ってやることはできない。夫婦であるにも関わらずなかなか言えないことが多いのは、夫婦になる前と変わらないから不思議である。しかし、そうして隠していることが、彼女には何もかも見通されているような気がするのだから救われない話だ。
やがてアパートからしずしずと歩いてくる影がひとつ。夕闇のほの暗さを集めたような紺色の浴衣姿の彼女は、彼のそばまで来ると、銀の簪で花のように結上げた黒髪をかすかに揺らして、顔を上げた。街灯の光を受けた首筋が鮮やかな白さを見せた。
彼は、彼女の期待を込めたまなざしに応えた。
「その浴衣、可愛いな」
しかし、期待はずれであったようだ。
彼女はその澄んだ瞳に訴えかけるような色を映した。
「着ている人が可愛いから、浴衣も可愛く見える」
彼はさらりと付け加えた。
今度は合格したようである。
彼は、彼女の手を取る栄誉に浴した。差し出された手を取った彼は、二人で歩き出した。近所で夏祭りが開かれるのである。交通規制のかかる中々に規模の大きなもので、終わりごろ花火も上がる。このあたりの夏の風物詩だった。
手をつなぎながらしばらく道を歩くと、親子連れやカップルが楽しげに先を急いでいるのが見えた。中高生も集団ではしゃいでおり、小学生が後ろから駆け抜けていく。普段寡黙な子が突然おしゃべりになったかのような、不思議な夜の賑やかさである。
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