≪プロローグ≫

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 失念していたことだった。そういえば、と上総も相槌を打つ。二人の眼差しにしかし英二は、泰然としたまま答えた。 「車はね、隣の───火の狩人の狩りって書いた、かがり村、だっけ? そこを過ぎたところで降ろしてもらったんだ。酔っちゃってね。舗道された道路だったらまだしも、山道はちょっと辛かったね。で、地理的に考えてこの竹林を真っ直ぐ進めば邑竹の村に出られるって判ってたから、散歩がてらに行けるかなって思って。日が暮れかけてきた時は、さすがにちょっと焦ったけどね。でもまぁなんとか無事、着けたし。僕もすっかり忘れてたな」  笑いながら改めて感嘆とした英二に、上総は躊躇いながら尋ねた。 「降ろしてもらったって……タクシーから?」 「いや、うちの車だよ」 「運転手付き……」 「僕は運転、出来ないからね」 「いや、そうじゃなくてさ」  意図も簡単に答えてくれた英二に、悪気はないのだろうと判りつつも、上総は挑みかかるように言っていた。 「お抱え運転手付きの車に乗れるなんて、英二さん、ご身分のほどは?」  上総の息撒きにも、英二は「あぁ」と気の抜けた相槌を返すと言った。 「言ってなかった? あ、関係ないだろう思って言ってなかったかも。諏訪の家は相当な資産家だよ。貿易商のいわゆる成金。とてつもなく幅広くやってるもんだから、僕の知識じゃ追い付かないけどね」  だから細かいことは訊かないでね、と及び腰の英二を衝いて、上総は切り込んだ。 「だったら別にここじゃなくても、静養の地なら他にもあるんじゃ?」  そう言われればそうだけど、と英二が上総に弱腰で返す。日も暮れかけた今夜は仕方ないとしても、明日には出て行ってもらおうと上総が算段をつけている間に、早苗が口を開くのが先だった。 「でも英二さん、車は返してしまったんですよね? なら仕方ないですよね。ねぇ、お兄ちゃん?」  何が仕方ないと言うのだろう。上総は早苗を見て彼女の意図を汲み取ろうとして、 「え?」  と問い返すも、早苗はあっさりと言った。 「え? じゃなくて。私達は別に構わないわよね? その代わり、特別お客様扱いは全く期待しないでくださいね? 英二さんがそれで良ければ、好きなだけ居てください。何もないところですけど」
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