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≪シーン・1≫
竹が鳴っていた。
さわさわ。さわさわ。と。
その乾いた音に耳を寄せていた上総は、ふっと頭上を仰いだ。
すると、右半分には縁側の屋根天井が、左半分には薄水色の空が抜けていた。縁側に腰をおろし、開け放した窓の枠に背を寄りかけていたから、そういう視界が出来上がったのだ。
竹のさざめきは絶えることなく、左の耳から聞こえてくる。昨日までの雨が嘘のような爽快さである。
長梅雨も昨日までか、と、上総は誰にともなく呟くと、ついと視界を庭に反した。
十坪ほどの平地に、二人暮らし家の洗濯物にしては少し多いくらいの服が、数ヶ所に立てられた竿に通され風にはためいている。
やっと晴れたわ、と、朝一番に呟かれた妹の言葉にはそういう意味が込められていたのかと、上総は傾きかけた陽を浴びながら理解した。
「早苗、選択物はまだ取り込まないのか」
奥に居た妹に向かって、上総は興味ない口調で呼び掛けた。
呼ばれた早苗は首だけをこちらに向けると、そうね、と小さく言い、縫物をしていた手を休めた。
「取り込んでもよさそうね。お兄ちゃん、手伝ってくれる?」
和嵯峨早苗を振り返る。早苗は上総の前を通り抜け、冗談よ、と微笑をうかべながら返した。
「やぁね、そんな顔しなくてもいいじゃない。言ってみただけよ。誰も本気でお兄ちゃんに手伝ってもらおうなんて思ってないから」
弾むように喋る早苗。高過ぎないその声が、彼女のそつのない美しい顔立ちをさらに柔らかくして見せる。背の中ほどまあである黒髪は、真っ直ぐに伸び、緑の艶をもっている。
髪の分け目は中央ではなく、少し左に多く流していたが、眉毛の位置で切り揃えられた前髪、黒目勝ちな一重の目、これでその小さな唇に紅を刷けば日本人形そのものだった。
上総は慣れた手付きで洗濯物を畳んでいく早苗の逐一を見守りながら、その少し奥の竹林を見るとはなしに見ていた。
この家の周囲は二十歩ほどの余白を残して全て、竹林に覆われている。全体像として捉えるならば、竹林に建つ日本長屋を想像した方が早いくらいである。
この竹林がどこまで続いているのか、残念なことに上総は試したことはなかったが、村の話ではこの山全体を覆っているそうだ。
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