鶴来

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鶴来

真司(しんじ)が実家のある石川県の鶴来(つるぎ)の町に戻ってきたのは4年前のことだった。 実家と言っても、両親は既に他界し、祖父が独り、包丁屋を続けている。 その頃の真司は、自分の暮らす場所が都会ではないことを自身で悟ったような、劣等感やちょっとした敗北感に似た心持ちだった。 大学まで地元で過ごし、就職で東京へ出た。東京に憧れていたわけでもなく、周りの就活生に流されているうちに、東京の会社から内定をもらった。 仕事には真司なりに真面目に取り組んだ。何が嫌なのかという明確な理由は見つからない。 ただ、強いて言えば、都会の人の多さが嫌だったのかもしれない。 平日の朝夕の満員電車、休みの日の出掛け先での長蛇の列、人垣の遠くに見える花火大会。 ぼんやりと、自分の暮らす場所じゃないのかもしれないという想いは東京で7年間を過ごしても消えることはなかった。 東京に住む人たちは、それぞれにこの都会の暮らしを楽しんでいるように見える。自分に辛抱が足りないだけなのか、自分だけが異質なのか、そんなことが、気づけば真司の悩みとなっていく日々だった。 実家に戻ってからは、祖父の常次郎(つねじろう)と二人きりで一軒家で暮らした。決して繁盛しているとは言えない包丁屋だったが、馴染み客に支えられ、なんとか二人くらいは暮らしていけた。 祖父は昔から真司には甘かった。真司は祖父の甘さを知りながらも「鶴来(つるぎ)に帰りたい」と東京のアパートから電話したあの光景を今でも思い出す。 真司は秀でた社交性を持ち合わせているわけでもなかったが、真面目にコツコツと取り組む姿勢は馴染み客も認めてくれている。そんな真司のことを一番理解しているのは、祖父でもあった。 「真司、だいぶ上達したな」 常次郎は、真司が自宅用に()いだ包丁を太陽にかざしながら言った。真司は照れくさそうに、「配達に行ってくる」と言い残して、台所を出た。 内心、真司はものすごく嬉しかった。しかし一方で、自分の()ぎが祖父に比べて、まだまだ未熟であることも嫌というほど、わかるようになっていた。
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