玉彦の愛する誰か

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 三月末日。  通山からお父さんとお母さん、そして九歳になり増々生意気になった弟のヒカルが正武家へとやって来た。  明日執り行われる、祝言の為に。  前日だというのに父親二人は呑んだくれて、明日の本番を心配したお母さんが怒っていた。  夜になり、私は母屋の縁側から庭へと降りて、多門が金魚池と呼んだ小さな池にしゃがみ込み、揺れる水面に顔を映した。  歪んでいて、とても不細工だった。 「比和子」  呼ばれて振り返ると、そこには玉彦が腕を組みながら歩いて来ていた。  黒い着流しの袖に両腕を交互に収めて、長くなった髪を後ろでゆるりと結わえている。  私は小袖の裾を払って立ち上がり、彼の横を通り過ぎた。  もうこんな状態があの日からずっと続いている。 「おい、待て」  二の腕を掴む力がいつもよりも強かった。 「なに?」 「ずっと何を不貞腐れている」 「別に、いつも通りだし」  玉彦は眉根を寄せて、黙り込んだ。  いつもそう。  いつだって彼は私に訊くのだ。  私が考えていることを想像もせずに訊いてしまえば、それはそれはすぐに答えが出て楽なことだろう。
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