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11.月の刃
月明の間の中央で黒い雷の輝きが見えた。
無数の蛇のように揺らめく大きな黒い影に、リリーナが体を弄られているのが見えた。
「リリー!!」
ユハーメド・アスラはリリーナから黒い杖の宝玉を放し、蛇のような影が咥えた月の冠を手に取る。
リリーナは石床に力なく仰向けに倒れる。
走り寄るルーイ。
が、ユハーメド・アスラの眼光がそれを射止める。口角を無理矢理上げて微笑みかけて来る。
ルーイはゴーレムに変えられた時の事を思い出し、凍り付いたようにその場で動けなくなった。
「なるほど、あなたでしたか。
ゴーレムでありながら魂の呪縛を解き、城から逃亡したと思ったら、王女様と邪魔をしに来た少年…。
あなたの身体をゴーレムに変える前から感じていた。貴方のその感情は『強力な固執』でしょうか?
やはりあなたには何か首輪に反発する力がある。」
ルーイは逃げ出したい気持ちを抑えながら、キッと睨み、一刀踏み込む。
ユハーメド・アスラは細い腕でそれを受け止め突き放した。
エルサハリア同様にゴーレムの巨体から繰り出される力をいとも簡単に受け止めてしまえる腕力だった。
「勘違いしないでください。評価しているんですよ。
一時あなたの魂から発せられた痛みと悲しみは凄まじい物でしたからね。
あれが戦力として実用化されたらものすごいでしょう。」
ユハーメド・アスラの黒いローブがドラゴンの翼のように広がる。
「ですからー、奴隷としてでなく正式な私の部下になりませんか?結果的に月の冠を運んで来てくれた事ですし、その件も許しましょう。」
ローブの中の底無しの漆黒から細く白い腕が伸びる。
ルーイは右手のロングソードを落とす。
『お兄ちゃん、お帰り。』
「もちろん、仲直りの印もあります。あなたが固執するものを。」
クセのある赤髪をもった少女。彼の妹ムイリの姿だった。
裸のムイリは肌と同じ色の液体を滴らせ、赤子のように四つん這いで進み、ルーイの胸を抱いた。腹にはへその緒のようなものがあり、それは悪魔の尻尾にも見えた。
「同意したと言う事でよろしいですね?
新しいヘキサゴールの平和のため、頑張りましょう。」
ユハーメド・アスラが歓迎するように手を広げた。
ルーイは自分の胸に触れて来る柔らかな温もりに必死で涙をこらえ、震えた手でその少女の肩に触れようとした。
が、落としたロングソードを右手で握った。
赤い石のネックレスが括り付けられた左手の刃でムイリの髪を優しく梳く。
「ムイリ…。後で必ず会えるから…。」
叫びたい思いを押し殺し、顔を遥か前方に見据えただ呟いた。
「大好きだよ。」
ルーイが投げ放ったロングソードがユハーメド・アスラの腹に刺さった。
手から月の冠を落とす。
ムイリの姿が肌色の粘液に変わるのを気に留めず、ルーイは月の冠を回収しリリーナを抱きかかえる。
「馬鹿な奴らだ。
そんなに気狂うような苦痛と服従が望みなら、くれてやろう。」
ユハーメド・アスラは腹からロングソードを引き抜き、多量の紫の血を流す。
ローブの中から漆黒のドラゴンの首が伸びる。額にはルーイが付けた物と思われる真新しい切り傷が付いていた。
ドラゴンの首に杖を食べさせると、ドラゴンは衝撃波を放ちながら重低音の咆哮を放つ。
咆哮に応えるように、王宮の下層にある黒いツタが絡まった巨大な紫水晶から、いくつもの光が月明の間に向けて飛び出して行く。
ドラゴンの首はいくつもの魂を口に吸い込んだ。
ルーイはリリーナを庇いながら伏せる。
ユハーメド・アスラの翼のようなローブは黒い雷を纏いながら屋上を覆う程の大きさまで広がり、それが空に向かってめくり上がる時、その中から黒いドラゴンの本体が姿を現した。
無数の突起と反り返った鱗に、海洋生物のようなエラ、頭部に並んだ複数の小さな目。
「なんだあれ…!」
ゴーレムや先程戦った悪魔より、はるかに巨大で凶悪な存在。
ドラゴンの首がこちらを向き、黒い雷を放つ。
ルーイはリリーナを抱いたまま吹き飛ばされた。
ドラゴンは次に煙の出る泥の様な物を、床に転がったルーイ達に浴びせようとする。
ルーイは急いでリリーナの体を月の冠と一緒に近くの石像の後ろに隠す。
泥の様な物はルーイの背中にかかり、鉛色の鎧を腐食させた。
「ああっ!」
背中の火傷した様な痛みにルーイは悶える。
『まずはオマエ!』
苦しむルーイをドラゴンが口に咥える。
鋭い牙が腹に突き刺さっていく。
さらに地面に身体を叩き付け、また咥え、牙を突き立てる。
まるで肉食獣が獲物を咥えて振り回し、じわじわと遊び殺しているかのようだ。
ルーイは途切れそうな意識をどうにか保ちながら、腕の折れた刃でドラゴンの目を突く。しかし固く透明な鱗の瞼のせいで効果はなかった。
リリーナの方に目をやると、頭や腕から血を流しながら中央の石碑に寄り掛かっていた。這って移動したようだ。
顔を上げルーイを見ている。
その周りを数人の槍を構えたゴーレムが囲む。
そこからゴーレム達が槍を振り回し入り乱れ、何が起きているか分からなくなった。
ルーイはぼんやりとする視界向かって手を伸ばした。
肺を顎で圧迫され声が出ない。
『お前達は私が遊ばしてやっていただけ。
いざとなればいつでも魂を刈り取ってやれる。
所詮、主人が望めば崩れる醜い泥人形と同じだ。』
ドラゴンの中からユハーメド・アスラの声が聞こえる。
ルーイの首輪の紫水晶が光った。
痛みと共に、ルーイの意識が更に遠くなっていく。
(僕はまた、魂を囚われて…、守れないのか?愛しい人達を。)
ルーイの中のあらゆる記憶、ムイリと母、故郷の思い出が白く遠くなっていく。
そしてリリーナの笑顔と温もり、声、匂いも思い出せなくなった。
(僕は…なんなんだろう。
なぜ、こんな所にいるんだろう。
何故こんなに悲しくて苦しんだろう。
誰かこれを消してくれ。)
今のルーイの脳裏に見えるのはどちらを向いても漆黒の色のみだった。
『ルーイ!』
(誰?)
暗闇の天井にあった僅かなヒビから青白い月光が差し込む。
その光に照らされ、月の冠と赤い石がわずかに見えてきた。
そして左手に折れた刃に映る顔が見えた。
栗色の髪と青い瞳の少年だった。
(この顔は…。
僕だ…。本当の僕だ!)
ルーイに視界が戻る。
自分の左手の刃とドラゴンの上顎の上に空が見えた。
空には雲間から満月が姿を覗かせていた。
「待て、何故空が夜に!何故もう月が?!
月の冠は私のゴーレムに回収させたはず!」
ドラゴンが叫ぶ。
「ルーイ…!」
掻き消されそうな声でリリーナが叫んでいるのが聞こえた。
ゴーレムの群れから、青白い光が漏れているのが見えた。
一人のゴーレムが奪った月の冠に満月の光が反射し、その光がルーイの左手の刃に当たり反射する。
刃の光沢が増す。
「放せええええええ!!」
ルーイは叫びながら、ドラゴンの額の傷に左手の刃を叩き付けた。
『グッ!』
ドラゴンは痛みで口を開きルーイを落とした。
『二度も自力で魂を…!こうなれば、魂はいらん!
冠を破壊し、王女を殺してしまえ!』
ドラゴンが口から雷の玉を吐き出そうとした時、何か音が聞こえた。
大量の水が流れる音だった。
満月の光を反射し、隅に1つずつ置かれた6つの像が光り出す。像は実体を失い、天女や聖獣の影として踊りだした。
中央からゴーレムを退け、リリーナが現れる。
流す血が帯の様に舞い踊りながら月へ昇り、絹のように透ける体は青白い月光に包まれていた。
「リリー!」
ルーイが歓喜した。
「私を殺すとおっしゃいましたね?やってご覧なさい。
さすれば私のこの血がもっと満月を引き寄せ、あなた達を浄化する力となるでしょう。」
「月の冠を祭壇に置か無くともお前達は月を呼べるのか?!
飾りに過ぎないお前ら自身にそんな魔力はなかった…。それは王宮魔導師だった私がよく知っている!」
「だからこそ、月に届く程のこの塔と祭壇があるのです。
空に隠れた月がここで私達を見つけられれば、後は王族の血と月が勝手に引き合い、儀式は行えます。
そして、冠は力を入れておく器に過ぎません。ここに運び込まれたその時点で月に全てを引き出されます。少々時間はかかりますが…。」
ドラゴンの頭と尾と四肢は6つの像から出た光の縄に捕われる。
その間、中央の祭壇から虹色の雲母を含んだ輝く水が大量に湧き出た。
「『月明の裁き』の儀式は無事成されました。
城に巣食った悪魔たちは月海の水によって地の底へ流されるでしょう。
あなたの悪事もここまでです。」
ドラゴンの背中が蕾の様に開き、黒い膜を纏ったユハーメド・アスラが杖を手に姿を見せる。
「残念ですね!
勝ったつもりでしょうが、全てのゴーレムの魂は今私の手元にあります!
私はその魂をエネルギーに変えて、生き延びられる!」
勝ち誇ったように、黒い杖を掲げる。
「させるか!」
ルーイが血まみれのまま、ドラゴンの背を駆け上がる。
辺りは水が満ち湖の様になり、激しく渦を巻いていた。
ユハーメド・アスラはドラゴンの背中から脱出し、杖から障壁を張る。
ルーイは障壁に左手の刃を突き立てた。
障壁から黒い電流と蛇の様な泥が湧き出たが、彼は怯まなかった。
「命に代えても…、お前だけはここで!」
左手の刃の折れた部分を月の虹色の光が補い、完全な剣にする。
その鋭利な剣は障壁を貫き、次に杖の宝玉を砕く。
砕かれた杖からは無数の白い火の粉が溢れ出す。
ユハーメド・アスラは胸に刺さった剣にその身を白い炎で焼かれた。
「己以外は皆異端者…。異端者には死と従属があるべき姿…。
…お前もゴーレムも死のその果てまでも、その先の先までも利用し尽くしてやる。
俺と死ね!!」
ユハーメド・アスラは焼かれたまま、ルーイに抱きつく。
ユハーメド・アスラの仮面は割れ、顔全体に押された禍々しい何者かの名前の烙印が露わになる。
『月明の裁き』による溢れる水と渦に巻かれ、足場がわずかとなったドラゴンの背の上。
二人はもみ合った後、バランスを崩し渦の中に落ちた。
輝く水流の中でもがいていると、ルーイの手に何か触れた。
リリーナの手だった。
白く半透明なエラのある鳥に乗っている。
ユハーメド・アスラが鳥に乗ろうとするルーイに捕まろうとしたが、緩くなっていた彼の首輪を掴んでしまう。
そのまま自分の重さで外れた首輪を手に、渦の中へと流されて行った。
鳥はルーイを乗せ、渦の流れに沿って水上に飛び出していく。
「ルーイ。生き延びるのは、あなたもですよ。」
リリーナは傷だらけの身体を抑えながら微笑んでいた。
水は城の中全てに浸透し、ドラゴンも、月影の悪魔も飲み込んで地中深くへ洗い流した。
その周りでは白い火の粉であるゴーレムの魂達が無数に飛び交っていた。
鳥の背の上でリリーナとその膝を枕に寄りかかるルーイ。
月明かりは、二人をただ青く静かに照らしていた。
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