5.月の王族

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5.月の王族

 目を開けると、白い絹のドレスに身を包んだ艶やかな髪の少女が佇んでいた。  肌や髪が月光に照らされ、透き通ったような美しさと感じる。  気品のある所作でルーイの前で身を屈める。  体を動かす度、絹のドレスの広がる裾はさらさらと揺らめき、淡く虹の様な七色を浮かび上がらせた。    少女はルーイの血の滲む右手をそっと両手で包み、杏の花弁のような柔らかな唇で接吻する。  ルーイはそれがリリーだと信じられず、されるがままであった。  「これ以上あなた達をもう苦しませない。ヘキサゴールの王家の生き残りとして。」  「リリー?君なのか?」  血は粒子となり、傷は塞がった。  リリーは目を細め微笑んだ。  「ヘキサゴールの、王女様?」  「そう、ヘキサゴールの由緒ある王族でした。  魔導士として王に仕えていたユハーメド・アスラが謀反を起こし、全てを掌握するまでは。」  リリーは立ち上がり白い巨大な塔ー、ヘキサゴールの王宮を見つめた。  「身分を偽って城下に隠れ住む生活も、もはやこれまでです。  死に別れた家臣は、最善の時を待つようと言い残しましたが…、感付かれた以上見つかるのは時間の問題です。  それに、知ってしまった以上覚悟を決めます。    あなた達のために一刻も早く終わらせることを。」  リリーの優しい青い瞳に鋭い光が差す。  「終わらせる?」  「あなたやここにいる人をゴーレムに変えたユハーメド・アスラを止め、あなた達を元に戻す方法を探します。  それが駄目なら…せめて城と…。」  「君が、奴を?!」  ルーイは咳き込みながら立ち上がる。  「あいつに一人で何が出来るって言うんだ!  側には、ゴーレムや衛兵もいる。無茶だ!」  「王家が最後の生き残りである私に残してくれた力でなんとかやってみます。」  リリーは町娘の姿の時のようにただ無邪気に笑った。  「大丈夫、きっとなるようになるだけですよ。」  「はーい。そこまで。」  拍子抜けな声の後、用水路の上の両端から照明が点灯し、辺りは眩しい光に包まれる。  光に目が慣れた頃、ルーイとリリーは自分たちが数十名の衛兵に囲まれていることに気が付いた。    勲章だらけの趣味の悪い軍服を着込んだ、切れ目の女ー。ヘキサゴールの衛兵隊長・エルサハリアが照明の逆光を浴びながら、部下を押しのけふらりと前に出る。 「これは、これは。まさか、町で噂の怪物といっしょでしたとは。   すぐに安全な所にお連れしましょう。」  二人を見下したまま、部下に合図を送る。  「…エルサハリア衛兵隊長!」  銃剣を構えた部下が数人下に飛び降りる。  ルーイは身構えたが、照明の光が下水に黒い影法士のような背の高い男の姿が立体映像のように映し出すのを見て、急に怯え出し地面に伏せた。  「あ…あ!、あいつだ…。」  リリー臆せずルーイの手を握った。  『ずっと会いとうございましたよ。ヘキサゴール第三王女リリーナ・キャロリング・ヘキサゴール。』  ユハーメド・アスラはゆったりとした含みのある口調で語りかける。  「ユハーメド・アスラ…!」   リリーは絞り出すように、憎悪を込めてその姿の主の名を呟く。  『せっかく行方を知る事ができたのに…。そのような顔を見せるものではありません。  エルサハリアさん、後は頼みましたよ。』  「はい。マスター。」  『リリーナ王女…。では後ほど。』  ユハーメド・アスラは骨製の仮面から獲物を見るかのような鋭い目で彼女を射る様に見つめ、艶かしく手招きの仕草をしながら消えていった。  「動くな、野良ゴーレム!さ、リリーナ様こちらへ。」  衛兵の一人が銃剣をルーイに向ける。  「待って!彼は私の友人です。無礼は許しませんよ!」  リリーはルーイを庇うように部下達を制した。  「ええ、いいですよ。  あなたがお逃げにならないと約束して頂けるならね。」  エルサハリアは嫌みたらしく嘲笑う。  「もう、逃げるものですか。」  リリーは毅然とした態度で返した。  リリーの態度が何か気に障ったのか、一瞬エルサハリアの目が丸く大きく開く。が、すぐいつもの切れ長の目に戻り冷笑を浮かべた。  「…。先にお連れしろ。」  リリーはルーイの右手を包むように両手で握り、耳元で囁いた。  「ルーイさん。  あなたが魂を取り戻せたのはきっと妹さんとの絆があなたの魂を呼び戻してくれたからです。  だから妹さんの死を無駄にせず、どうか悲しみに呑まれず生きて。」  ルーイは不安そうに横目で彼女を見た。  「わたしは、生き延びて得た残りの命を民やあなた達のために使うことに決めました。  あなたたちが苦しんでいるのを知ってしまったのに、何も気にせず隠れて普通の生活なんてできませんから。例え王家の血が絶える罪を背負おうとも…。  ここまでありがとう。」  何も知らない人間には彼女は笑顔に見えただろう。  しかし、ルーイにはリリーが不安を押し殺して笑っているように見えていた。  「え…。」  リリーはルーイからそっと手を放す。  ルーイの手には彼女の強く握った手の感覚とぬくもり、それから月の冠が残されていた。  そしてルーイの目にはリリーの震える瞳と、悲しげな笑みが焼き付いたままだった。  その時ルーイは今まで忘れていた感覚を思い出しそうになっていた。  自分に対する怒りや戻らない過去の温もりへの悲しみによる激情ではないー、顔を上げて、不安も吹き飛び、ただ噴き荒れる、身体を巡る感情が渦巻いていた。  リリーがエルサハリアのいる方向に進むと、部下が一斉に彼女を取り囲む。  「リリー、駄目だ!」  震えた、しかしはっきりとした声でルーイが叫び、手を伸ばす。   衛兵が銃剣を突きつけルーイの手を制する。  リリーは一瞬足を止めたが、一度も振り返らず、再び歩き出した。
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