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6.ゴーレム
「脱走してたと聞いてはいたが、こんなところにいたのか。
『橋の下の怪物』よ?」
リリー達が去った後、エルサハリアは部下に囲まれたルーイの元に降り立つ。
ルーイはわなわなと震え息を押し殺し、ただ手の平の遺留品達を見つめていた。
「そうだな。お前はマスターによれば『首輪の縛り』を解いた珍しいゴーレムだそうだな。
よって、実験サンプルとして役に立ってもらおう。同じことが起きたらたまらないからな。」
ルーイは顔を上げて、部下達の銃剣を押しのけ立ち上がった。
「魂が元の体に戻った後、ヘキサゴール城から脱走してこのゴミ捨て場に隠れ住んで、自由を手に入れた気になっていたようだが。
バッカだねえ。」
砂利をルーイに向けて蹴飛ばし、エルサハリアが嘲笑う。
「…僕はお前らの物じゃない!」
ルーイが怒りに震える。頭に被ったズタ袋の穴から見える暗い瞳に光が差す。
「ほう?急に威勢が良くなったな。王女様にキスでも貰ったか?
なら、奴隷時代の楽しい教訓を思い出させてやる。」
エルサハリアは上着を脱ぎ捨てた。
右腕は紫水晶の原石があちこち埋め込まれた鉤爪状の義手のようであった。
正面から組み合うと思いきや、腕の力を逸らされる。
義手の手の平が見えた。
それが見え、顔を掴まれた時、ルーイは体が宙に浮いて無差別に振り回される感覚を感じた。
その後背中が何かに押し付けられて、高熱に焼けるような強烈な痛みを感じた。
エルサハリアはその華奢な身体の中、たった一本の腕でルーイの顔を掴んで壁に体を押し付けて擦り付けながら走って移動していたのだった。
用水路のあった暗い裏路地を抜け、商店街のある明るい表通りに飛び出す。
人々の悲鳴が聞こえる。
巨体のゴーレムとそれを圧倒する衛兵隊長の登場は、家路に付く人々や夜店を行き交う人々にはあまりにも非日常的で突然すぎたのだ。
「うああああ!」
いくら丈夫なゴーレムの皮膚とはいえ、摩擦による熱と顔に食い込んだ鉤爪による痛みはルーイの体力を消耗させ、悶え苦しませた。
ルーイは血だらけの顔を押え、辺りの物にぶつかりながら転げ回る。
「いいか?例えお前の身体が戦闘用ゴーレムであろうとも、部隊に居た時のようには戦えないんだ。
城でいつもさせていた、身体能力を増幅させる魔瘴石を接種してないからな。
おまけにその首輪が今日までずっと生命力を吸って弱体化させてる。」
「暴走したゴーレム!橋の下のアイツだ!」
「気が狂ってこんな所にまで襲いにきやがったんだ!」
エルサハリアは鉤爪に付いた血を払いながら、興奮した群衆を制する。
「市民よ、これは衛兵隊が対処する。下がってなさい。
こいつは今気が立っていて危険だ。」
わざとらしく、勇ましそうな声を出して呼びかける。
ルーイは顔に流れる血の感触で、頭と顔を覆っているズタ袋が破れかけていることに気が付いた。
それに加え、自分を見て怯える市民たちに気付き、凍り付いた表情で手で顔を覆う。
エルサハリアはそれに気付き邪悪な笑みを浮かべ、ルーイの後頭部を踏みつける。
そして鉤爪で被っているズタ袋を掴み、少しずつ破り始めた。
「やめろ!」
必死で抵抗するがその度強く踏みつけられる。
「やめろ!やめろ!やめて…!やだ…!」
許しを乞う子供のように、悲痛な叫び声を上げる。
エルサハリアは四つん這いのルーイの頭を掴み、群衆に見えるように掲げた。
「これがヘキサゴールを裏切り、悪魔に取り憑かれたゴーレムの姿だ!」
群衆からざわめきの声と叫び声が聞こえた。
街灯の魔法光が思考停止したルーイの顔に照りつける。
継ぎはぎの赤黒い皮膚と異常に腫れあがった筋肉。人間とはかけ離れた姿だった。
ーバケモノ!バケモノ!バケモノ!バケモノ!アクマ!
ー違う!僕は人間だ!故郷を守るためヘキサゴール軍と戦って、ユハーメド・アスラにこんな姿に変えられた!悪魔はあいつだ!
泣き叫ぶがその声はパニック状態の群衆には届かない。
ーコロセ!コロセ!コロセ!コロセ!
群衆から小石や物が飛び、傷だらけのルーイの身体に当たって皮膚を抉る。
ルーイの身体から力が抜け、その無表情になった顔には大量の涙が流れた。
「どんなに粋がっても、所詮お前は人を襲うためだけに作られた醜い化け物。賛同者はいない。
あーあ。大人しく抜け殻でいれば幸せだったのに。」
ルーイは地面に落とされ、うつ伏せに倒れた。
「こいつはヘキサゴール軍の汚点。
市民よ!私がこの場でこいつを処刑する事でどうかこの償いをさせて欲しい!」
エルサハリアは笑いをこらえながら鉤爪を高く掲げ、混乱する群衆に呼びかける。
耳は聞くことを拒否し、群衆の怒号は聞こえなくなっていった。
(ごめんリリー。
自分の故郷を守れなかった上にヘキサゴール軍に捕まった時のように、また何もできなかった。
どうせ死ぬならこんな風に身も心もズタズタにされるより、あの橋の下で首輪に命を吸われてただひっそりと死ぬ方がましだったな。)
ふと左手の赤い石のネックレスが見に入った。
ルーイはある思い出にふけっていた。
ー『お兄ちゃん!誕生日おめでとう!』
ムイリがルーイの首に赤い石のネックレスを掛ける。
『お兄ちゃんのその赤の石は私達フス族の住む大地の赤。だからきっと寂しくないよ。例え離れ離れになっても、その石を見れば私達はそこに居るよ。
ずっといっしょだからね。』
歯を見せて笑うムイリ。
ルーイがヘキサゴール軍との戦いのため、故郷から旅立つ前日の姿だった。
(これは僕が守りたかったもの。
でも、守れなかった。
守るどころか壊してしまった。)
『これでほどけないわ。』
切れた石のネックレスを結び直すリリーの横顔を思い出す。
(ゴーレムになった事でやがて切れてしまった、思い出のネックレス。
結びつけてくれたのは君…。
化け物の見た目になり、罪を背負い、心が荒んだ僕にさえ…。
人間だった頃のように接して、励ましてくれた。
そして勝てない敵を前にしながら、たった一人、僕らを救いたいと言ってくれた。)
いつの間にか手の平から溢れていた月の冠に気が付く。
それに手を伸ばすが、エルサハリアの靴の踵がその手を踏みつけ邪魔をする。
「おっと、お前にはもう無意味だろ?」
(僕は無力だ。
だから君がどんなに頑張ろうとしても、それを後押しすること一つさえ出来ない。
妹の時と同じように。
『ごめん』さえも言う権利なんてないよね。)
踏まれる痛みに耐えながら月の冠を強く握りしめた。
ルーイの首輪の紫水晶のヒビに更に雷のような亀裂が入った。
エルサハリアは月の冠を拾おうと屈む。
が、急に悲鳴を上げ、その手を庇った。
「汚い手で…触るな。屑野郎!!」
ルーイの声だった。精一杯の大声だった。
ルーイが左手の折れた刃でエルサハリアの手を払い除けたのだった。
エルサハリアの指は切り落とされていた。
また顔の半分は顎から鼻頭にかけて切り傷ができ、その傷口からは発光する紫の血を流している。
「死に損ないの糞奴隷が…!」
エルサハリアは唇を噛み締め、血走る目を大きく開いた。
ルーイはエルサハリアを払い除けた隙に、手を踵から引き、月の冠を回収して後ろに下がった。
「その腐った顔さらにぐちゃぐちゃにして掻き回してやろうかああああん!?」
エルサハリアは怒鳴り散らしながら鉤爪の指を揃えて構える。尻の辺りからヘビの様な尻尾が生え、服を突き抜けて固い鱗が伸びていた。
群衆のパニックはピークに達し、恐れをなして逃げ惑う者達が続出した。
ルーイは月の冠を持った右手で顔を庇いながら、エルサハリアを見据える。
自分がやったことに動揺し、やや腰を引いているが自然と左手の折れた刃を構え、攻撃に備えていた。
(ここで死ぬよりもっと酷いことが待っているかも知れないのに…。
でも…、リリーの事を考えながらあの橋の下で寿命待つなんてできない。
同じ後悔をして泣いて過ごして死んでいくのは、もう嫌だ…!)
ルーイはエルサハリアに向かって突進する。
(折角掴んだチャンスだ。考えろ。
1番の目的を見定めて、焦らず慎重に…。)
両者が接近し、互いの武器が触れる距離になったその時ー。
「なっ?!」
ルーイは地面を力強く蹴って、横の壁まで跳び、更にその壁を蹴って、エルサハリアの背後へ着地し、その場を抜けた。
反対にエルサハリアの鉤爪はルーイの腕の皮膚をわずかに切ってそのまま石畳を叩いて傷つけただけだった。
「遊びは一人でやってろよ!」
ルーイはそう言い放ちながら近くのランプや酒樽などの物を倒して、振り返らず裏路地に向かって走る。
エルサハリアも追うが、群衆の波に飲み込まれ見失う。
「この私を…!マスターから認められたこの私をコケに!クズの分際でええええ!」
エルサハリアは憤慨し、傷口から流れる自分の液体を睨みつけ咆哮した。
ルーイは咳き込みながら一人家屋に身を隠し、追っ手を巻いたのを確認する。
一呼吸置き、赤い石と月の冠を握りしめて立ち上がる。
ルーイは走り出した。
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