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16.予感
目覚めたシオンは、危うくベッドから落ちかけていた。汗だくの体を支え、穏やかな声が彼女の名を呼ぶ。窓から差し込む月明りが辛うじて彼の顔を照らしていた。
ルーが鳴きながら忙しなく彼女の周りを走り回っている。
「大丈夫かい、シオン」
冷たい手の平が嫌な汗を拭う。現実は徐々に輪郭を取り戻していった。
抑えた胸からは胸骨すら通り越してその鼓動が伝わってくる。
「……ごめんなさい。嫌な、夢をみて……」
「謝らなくていいんだよ。僕を見て、ゆっくり呼吸をして……」
碧眼はシオンの顔を覗き込み、彼女の体の熱を徐々に下げていった。
膝に乗ってきたルーを抱き寄せると、白い体毛が柔らかに彼女の肌へ触れた。
「水とタオルを持ってくるよ。それとも、しばらくここにいようか?」
「だ、大丈夫です……。自分で……」
「僕はこういう時に頼るモノだ」
彼女が引き止める間もなく、微笑んだスフェノスは姿を消す。シオンも彼の言葉に甘え、ぼおっと月明かりに照らされる部屋を眺めることにした。
以前はスフェノスの過去の記憶を体験したものだが、今回も彼のそれなのだろうか? もしくは無くした自分の記憶かもしれない。
ふと、耳を澄ませば外から僅かに鐘の音が聞こえてくる。ルーを抱えて窓のカーテンをめくると、遠くで黒い煙が上がり、その周辺だけが煌々と明るく照らされていた。
火事のようだ。
昼間の張り紙にあった放火だろうか。
「眠れそうかい?」
「……分かりません」
戻ってきたスフェノスがグラスを差し出す。シオンはカーテンを閉め直し、窓から離れた。
グラスを満たす冷たい水を一気に飲み干すと、ようやく汗が退いていく。タオルで汗を拭い、シオンはスフェノスに礼を言った。
「落ち着いた?」
「はい。おかげさまで……」
「眠れないようならまじないをかけてあげるから、遠慮しないで言うんだよ」
「ありがとうございます……」
シオンはベッドへ戻り、再び眠りにつこうとした。
彼が近くにいるのを感じる。いつもならば落ち着かないそれも、今は嬉しい。
「あの…………」
「うん?」
やはり声は近い。肩まで肌掛けを引っ張り、シオンは脳裏で揺れる炎に渇いた唇をなめた。
「私、火事に巻き込まれたこととか、ありますか……?」
「夢でみたのかい?」
穏やかな問いかけへぎこちなく頷く。
「今までに君が炎にまかれるようなことはなかったはずだよ」
「……そう、ですか」
声は変わらず柔らかだが、シオンはその返答に目を閉ざした。意外にも煮えきらない答えが返ってきた。どうやら彼は『シオン』のことを全て知っている訳ではないようだ。
外では未だに鐘の音がけたたましく鳴り響いているらしい。寝ぼけたルーが頭を肩口に突っ込んでくる。そこから体がぬくぬくと温まってきた。眠気が徐々にまぶたを重くする。
浅い眠りを繰り返す内、悪夢は過ぎ去っていた。
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