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08.先生と生徒
棚を眺めていたスフェノスがシオンを手招きする。
「この辺りが児童書のようだよ、シオン」
「いっぱいありますね……」
館内は本の詰まった棚で埋め尽くされていた。棚と棚の間隔も、人がすれ違うには少し狭いくらいだ。吹き抜けの天井からガラス越しに降り注ぐ陽光がほど良く手元を照らす。
スフェノスは手に取った絵本をめくり、静かに微笑んだ。
「シオン、おとぎ話は好きかい?」
「おとぎ話ですか? どうでしょう。嫌いではないと、思いますけど」
記憶を失う前の自分が読書家だったとは思えないが、文字を眺めていても嫌悪の類は感じない。最も、今は一文字も読めないのだが。
金のまつ毛が碧眼を隠す。
「僕も言葉の練習は絵本で教えてもらったんだ。おとぎ話ばかり聞かされてね。おかげで僕は、それがこの世界の姿だと思い込んでいた」
「……フューカスさんに、読み聞かせてもらっていたんですか?」
「あの人はいつも『めでたし、めでたし』で終わる話しばかりを、僕へ読み聞かせるんだよ。夢見がちで、本当に困ったヒトだった」
珍しく自分から過去を語り始めたので、シオンはわずかに身を乗り出した。しゃがみ込む彼の隣から、端正な顔を覗き込む。
しかし、碧眼が思い出に揺らいでいたのは、ほんの少し出来事だった。スフェノスは手近にあった絵本を数冊、手元へ引き寄せる。
「今はおとぎ話も増えて、こどもが読み書きの勉強をするには困らないね」
「…………」
「このくらい簡単なものから始めようか……。どうかしたかい?」
首を傾げると揺れるイヤリングが煌めいた。
頭を振って、シオンはスフェノスから本を受け取る。表紙の題名は分からないが、ドレスを着た女の子と王冠を被った男の子、2人へ向かい火を噴く竜が、可愛らしく描かれていた。
きっと「めでたし、めでたし」で終わるのだろう。
スフェノスは辺りを見回して立ち上がる。
「読み書きを学ぶのであれば、ペンと紙があった方がいいかな。受付で借りられるものがあるか聞いてこよう。シオンは空いている席を見つけておいてくれるかい」
「気を付けて下さいね」
「ここなら暴漢と鉢合わせるようなこともないから、心配いらないよ」
そう言う意味ではないのだけど。
不安だ。
笑顔を引き留めきれず、シオンは彼の背を見送った。
絵本を抱えて、シオンはテーブルが並べられたスペースへ移動する。一つ一つが敷居で区切られている物もあれば、大きな横長のテーブルに椅子が並べられている物もある。
「隣に座ってもらっていた方がいい、よね……」
人目を集めてしまうので姿を消してもらいたいのは山々だが、何もない空間に自分が声をかけていれば、それこそ人を呼ばれてしまうかもしれない。
シオンは横長のテーブルを選び、一番隅に腰かけた。人気はそこそこあるのだが、何せ建物内が広大なため、本をいくら広げても隣の席を気にする必要はなさそうだ。
絵本を開いて見ると、先の可愛らしい絵に短い文章がひとつ、ふたつと添えられている。最後のページは、やはり竜が剣に貫かれて倒れていた。
別の絵本もめくって、「めでたし、めでたし」らしい文面は理解することができた。他に「むかし、むかし」など、決まり文句はこの国にもあるようだ。そんな調子で難とか自身で勉強を進めてはみたものの、彼はなかなか戻らない。やはり一人で行かせるべきではなかったようだ。
シオンは一度、絵本を閉ざした。受付の様子を見に向かうと、案の定である。
煌めく容姿の青年は老若を問わない女性らに囲まれ、身動きが取れなくなっていた。
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