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「あんたにどういう意図があったにしろ、詳しく聞かせてくれ。相手はどこの誰だ。その元カノが分かれば、そいつが諸悪の根源だからな」
「…………そうですね。ここでは人が来ます。いつものところへ」
そう言うと、弁才天はその美しい光とともに一瞬で姿を消し去った。
「こっちだ」
一馬が私の手をつかんで引っ張って歩き出した。
手をつかんだだけなのは分かるけれど、どう見ても普通に手をつながれている感じで思わず胸がうずいてしまった。だけど、一馬の顔は無表情で私の手をつかんだまま、いや、実際には手を繋いだまま、恐らく指定されたであろう場所に無言で進んでいく。
こういう一馬は何かを考えているというより、心を無心にしているように感じる。
立ち入り禁止だろうと思われる低い柵を乗り越えて、本殿の裏手にある竹藪の中に入っていくと、その奥の方が大きな光に包まれていた。思わず眩しくて目をつぶってしまったけれど、一馬が立ち止まるまで歩き続けた。
そして、気が付くと美しい竹林の中に立っていた。
その竹一本一本が青々としていて、太すぎず細すぎず全て均一の太さのような美しくしなやかな竹が光に満ちた中で並んでいる。
その光は勿論、弁才天が放っているものだった。
「綺麗なところ……」
「まあ、どっちかといえば弁才天側の場所だからな」
「えっ? あの神社の裏手にあるんじゃないの?」
「俺らの感覚ではそうだが、他の参拝客が来るのは不可能な場所だ」
ということは、いつか私のうしろにいる金の龍神と話したようなそんな場所なのかもしれない。
「眩しすぎるから、少し光を弱めてくれ」
「あら、そうでしたね。いつも忘れてしまうのです。人々はわたくしの光に気が付かないので」
「あんた自身のことが見えないからな」
このテンポの良いやり取りを見ていると、一馬がこの弁才天をかなり気に入っていることが窺えた。それってきっと、香織さんのうしろにいた神様だからだろうな……。
あれ。そう思ったとたんに、やっぱり胸の奥がチクチクと痛む。
私は本当に相棒としての承認欲求が強いのかもしれない。一馬はそれなりに私に期待してくれて、もっと出来るだろうと示してくる。少しずつクリアできると喜んでくれているのもわかる。
だけど、きっと香織さんにはまだまだ足りないんだろうな、ということは分かっていた。
「ぼんやりするな、沙紀。弁才天の話に集中しろよ。その生霊を放っている女の方はおまえの仕事だからな」
「えっ、そうなの?」
「俺は磐長姫の方に集中する。浄化は得意じゃないって言っているだろ。だから、沙紀がきちんと聞いていろ」
「う、うん」
一馬の一歩うしろにいたけれど、そのまま手を引かれて並んで立った。
「ところで、いつまで手を繋いでいるのかしら? 仲良しなのは結構ですけれどね」
弁才天が微笑むと、一馬がようやく気が付いたように私の手を離した。
「はぐれないように掴んでいただけだ。ここに来るときに置いていきかねない」
「分かっているよ、それくらい」
私は思いっきり口を横に広げて「いーっ」として見せた。
「余計にブスになるからやめておけ」
「〝余計に〟が余計だからね!」
「まあまあ、ふふふ。本当に仲がいいこと」
本当に楽しそうに綺麗な笑い声を響かせる。一馬の言葉は腹が立っても、それをこの弁才天が癒してくれるような不思議な感覚になった。
「そんなことより、本題に入ってくれ。香織のことを怨んでいるヤツは誰なんだ?」
「まあ、焦ってはいけません。先ほども申しました通り、わたくしは香織が怨まれていることは初耳でした。香織の結婚相手は一ヶ月ほど前のお見合いで決まった殿方です。御年三十五歳。武田航さんという、一流大学卒業後に大企業である商社に勤めて十年以上経つエリートサラリーマンという肩書を持つ方です。彼が穏やかな性格であることと、ご両親が気に入っているのを見て、香織は二十九という自分の年齢も気にして結婚を決めたようです」
弁才天が話していると、香織の姿やその結婚相手の姿やお見合いをしているであろう場面もぼんやりと浮かんでくる。鮮明ではないけれど、やはり香織は少し控えめなタイプの大人びた美人に見えた。
だけど、適齢期とか親が気に入るとか条件とかで結婚を決めるのか……。まだ学生の私には理解できないけれど、その頃に未婚だったら私も同じことを思うのだろうか?
姉のように恋愛で生活のほとんどの気持ちを左右されながら生きるつもりはないけれど、ずっと一緒に生きる人を条件で決めて結婚するくらいなら、別にひとりで生きてもいいんじゃないかと思ってしまう。
私も人並みに結婚して子育てしてという将来は描いてはいるのだけど……。
とはいえ、まだ二十歳の世間知らずの学生には分からないこともいっぱいあるのかもしれない。
「で、その武田航が以前付き合っていた女性は分かるか?」
「そうですね……。私が見えるのは、揉めているところですね。武田航は結婚が決まって、他の女性と揉めたようです。それがきっとその方かしらね。香織に会って行きませんか?」
「いや、会わない。あんたが香織に会いたいだけだろう?」
「まあ、お見通しですのね。あの子、わたしくを拒んでしまっているから……。カズマと一緒なら会えると思ったのに」
香織が弁才天を拒む……?
それで、弁才天が去ってしまったのだろうか?
本来の目的よりも、香織のことが気になってしまって、どうも集中しきれていないことが自分でもわかる。
「仕方がない、その武田航って奴のところへ行こう」
「えっ? 今から?」
「いいか、香織を怨んだヤツの丑の刻参りは昨日行われている」
「えっ? そうなの? だって、あの神社では以前からある怪奇現象なんでしょう?」
「ああ。だから、以前から色んな呪いを込めて丑の刻参りが行われていたんだろう。とにかく、香織にかけられた呪いは昨日だ。そして、まだその呪いは行われていない。他の二人もまだ呪いが実行されていないから見えたんだろう」
そんなに緊急事態だったなんてわからなかった。
確か、お百度参りというのは百日かけて行う方法と一日で百回お参りする方法がある。冷静に考えてみたら、私が見た三人とも何度も何度も鳥居から本殿まで参拝していたから、一日で終わらせたということだろう。
ということは、あとはその時間を待つのみ……?
「い、急がなきゃダメじゃない!」
「だからそう言っている。磐長姫はちょうど一日で願いを叶えると言っていた。弁才天、その武田航は今どこにいる?」
一馬の問いに、弁才天は目を閉じてその居場所を探しているようだった。
「……すぐ近くにいますね。わたくしも一緒に参ります」
『サカイカズマ』
突然、光が増して大きな声がその竹林に響いた。この低く響く声は聞き覚えがある。
呼ばれた一馬は私の方を見て、目を見開いて驚いた表情をした。私はその視線の先を辿るように振り向くと、やはりそれは私のうしろにいる金の龍のものだった。そうか、ここはあのとき…………以前、龍神と話した所と似たような場所だから姿を現したのかもしれない。
『サカイカズマ、わたしはサキを護るが、おまえもしっかり護るのだ』
それは、この先に危険があるという意味なのだろうか……?
「そのつもりだから、安心して見ていていいですよ」
穏やかな声で一馬が言うと、それに答えることはなく、龍神は再び姿を消した。
「巫女のうしろには素敵な龍神がいると思っていましたが、姿を現すとまた迫力がありますね」
なんだか呑気な調子で弁才天が綺麗な笑い声を立てたけれど、きっと笑っている場合ではないのだろう。
「では、参りましょう」
私たちの身体が弁才天の光に包まれたと思うと、いつの間にかこの神社の赤い大鳥居の前に立っていた。
「参りましょう。こちらです」
弁才天はまるで何かに乗っているのか飛んでいるかのように、身体が揺れることなく一定の速度で前に進んでいく。一馬でさえ早足でないとその速度には追い付けず、私は走って行かないといけなかった。
だけど、神社の敷地を出た住宅地の二本目の角を曲がったところで、弁才天は急に止まった。
弁才天が静かに腕を前に挙げて指を差したからそちらを見ると、その先にある一軒家の前に車を降りた男女が話している姿が見えた。香織さんと武田だろうか? 少し距離を置いて向かい合って、穏やかな笑顔で話し合っているようだ。
一馬が早足で二人に近づいて行ったから、私も追いかけるようについて行った。弁才天も少し遅れてうしろをついてくる。
「一馬……?」
かなり驚いた表情の香織が一馬を見上げた。一馬と私をチラリと見た武田が香織に「友達?」と囁いた。
「あ、えっと、前に一緒に働いていた人……」
かなり動揺している香織はしどろもどろにそう言うと、再び一馬を見上げた。
「どう……したの?」
「単刀直入に言うと、おまえ……キミは今、呪われている。それを解くためには呪ったヤツの心を浄化しなければならん。で、呪っているのが、武田航さん、あなたが少し前までお付き合いされていた元カノです。肩までのストレートヘアに細い一重瞼の目、細身で背の低い女性に心当たりはありませんか?」
「一馬? なに? 呪い……? やだ、本当?」
「き、キミは何を言っているんだ?」
拝み屋の相棒だった香織はすぐに状況を飲み込んだようだったけれど、武田の方はいきなり怪しげな話で状況を飲み込めていないようだった。ふたりは違う戸惑いの中で、不安そうに一馬を見た。
「本当だ。昨日の丑三つ時に隣県にある神社で丑の刻参りをしていた。そこの神がその気持ちに同調してしまっている。神自身でも抑えられないようだったが、彼女の話では次の丑三つ時に、つまり午前三時に決行することになりそうだ」
「えっ? 決行ってなに?」
「キミの死を願っている。ただ、同時に自分自身も同じ目に遭うことは分かっていない」
香織は青ざめた顔をして武田を見た。
「航さん、その元カノさんって心当たりある?」
「少し前に付き合っていた子は確かに小柄で華奢な目の細い子だったが……。まさか、香織さんはそんなことを信じるのかい?」
「ええ……。普段は家で書道を教えているけれど、この夏までは副業として神職のお手伝いをしていたの。あの、この人は酒井一馬と言って神社の息子なの。で、特に悪霊とかそういうものを祓ったりすることもしていて……」
今まで拝み屋の仕事をしていたことは話していなかったのだろう。香織は話にくそうに武田に説明しているけれど、自分が呪われているという事実も理解しているようで微かに震えている。
「そ、そうなのかい? でも、いきなり呪われているなんて言われても……。その彼女だっておとなしい優しい女性だった。そんな呪い殺すなんて」
「一刻を争うんだ。目の前にいる婚約者と、その優しい元カノを殺したくなければ、その人の名前と居場所を教えてくれ」
一馬がいつも通りの無表情にいつも通りの淡々とした口調で突きつけるようにそう言うから、武田は困惑して再び香織の方を見た。
「この人の言葉はその通りだと思うの。お願い、教えて」
「…………連絡してみるよ。ところで、キミは? 酒井さんの彼女かい?」
武田がスーツの内ポケットから携帯を出しながら、私に視線を向けた。その言葉を聞いて表情が変わったのは私だけではなく、香織も同様だったことを見逃さなかった。
「全然違います! 香織さんの仕事での後釜です」
「えっ? そう……なの?」
香織が一馬を見ると、「ああ、夏から一緒に組んでいる」と頷いた。
だけど、香織は一度も弁才天を見ようとしない。私はそのことがずっと気になっていた。こんなに光を放っている弁才天を無視をしているというより、見えていないように思えた。
もちろん、武田には見えないだろうから、彼に合わせて無視をしているだけかもしれないけれど……。
それでも、弁才天の方はずっと嬉しそうに満面の笑みを香織に向けている。
この神様は本当に香織を愛しいと感じているのだろう。
「会わせてくれるなら、この神社で待ち合わせにしてくれ」
電話をかけている武田に、一馬はさっきの磐長姫の神社の名称と住所の書かれたメモを差し出した。武田は嬉しそうにはしゃいでいる電話の相手と応対しながら、メモを受け取って頷いた。
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