記念の儀式

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 たとえば、ドゥシャス デ ブルゴーニュ。  ぼくが知っているのは、それがベルギー産のレッドビールということくらいで口にしたこともないんだけど、エルフにとってはそうではないらしい。  彼らはこのビールが大好きで、森の奥にある里を出て、わざわざ街中に住む者もいる。  知っている人はほとんどいないけれど、一部では有名な話かな。  といっても、なにしろあの気難しいエルフなんでね。  都会で暮らせるはずもないし、大体はスーパーが一軒だけあるような小さな街になるんだけど。  で、どうしてこんな話をするのかというと、ぼくは今タイにいるんだよね。  トロールであるぼくが東南アジアで暮らしているというのは、ひょっとして多くの人が不思議に感じるかもしれない。  でも、エルフがベルギーのビールを好むのと同じように、この世の中には誰にも知られていないことがいくつか存在しているわけさ。  つまりこのぼくがタイにいる理由は、秘密の儀式に参加しているためなんだけどね。  実のところ、秘密にする必要なんてこれっぽちもない。  ただ、あえて公にするほどでもなく、長くつづけているうちにいつの間にか秘密になってしまったというのが実情。  だから、この儀式にはあまり意味もなく、もちろん世界を変えたり、トロールのアイデンティティーに関わるというような壮大な話でもないわけさ。  いわば、単なる慣習。  牛が野原に出て草をはむのと、大きな差はないんじゃないかとぼくは思う。  さて、それにしてもタイは暑いよね。  今は4月で、タイでは真夏に当たる。  旅行カバンひとつ手に訪れた時は1月だったかな。  北部では気温が1ケタ台にまで下がることがあったから、川で泳ぐのにちょうどよかったんだけどね。  いや、もう限界だ。  今年は殊更暑いし、水掛け祭りも盛り上がるんだろうけど、残念ながらギブアップだ。  え?  ぼくが何をしているのかって。  我慢比べだよ。  500年生きたトロールが記念に参加できる儀式。  水掛け祭りまで持ちこたえたのは、過去に3人しかいなかったんだけど、やっぱり故郷の涼しい空気がなつかしいなあ。  明日には飛行機に乗って、サーモンをのせたスモーブローを食べるんだ。                                     おわり
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