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しのぶれど
渚は戦闘中に列を見渡すことが多くなった。主婦にサラリーマン、お年寄りに子供にその他。押し寄せる軍勢のただなかで、まるで味方の総大将かと錯覚するほど彼だけが明るく鮮やかに見える。彼の笑顔とお礼の言葉が渚の勤労を称える褒美であるかのように、渚は無意識にその姿を求めるようになっていた。
女は鋭い。戦士であればなおさらか。渚の態度は決してあからさまではなかったが、同じ砦を守る諸先輩方は目ざとかった。
「小島さん最近楽しそうねえ。」
「仕事中もウキウキしてるみたい。」
休憩室でパートのおばさんたちに囲まれるまで、渚は自分の変化に気付いていなかった。驚きと恥ずかしさで顔を赤らめた渚を肴に、おばさんたちは勝手に盛り上がってゆく。
「あらやだ、じゃあ恋人ができたって本当だったの?」
「違うちがう、まだ好きな人の段階だって!」
本人の追認など不要とばかりに、憶測に興味と冷やかしが重ねられる。
「どうなの? ちゃんとアピールしてる?」
「だめだめ、アピールだけじゃなくてアプローチしなきゃ。」
「え~、いきなり結婚は焦りすぎじゃない?」
「やだ、それアプローチじゃなくてプロポーズでしょ!」
口に手をあてて大笑いする一団は、もう渚がいなくても燃料には事欠かない。
「あなた近頃店長に言い寄られてるって言ってなかった?」
「そうなのよ~、美容室行ってきたら『その髪型良いですね~』って誉めてきてね~」
「あらあたしも今朝『そのセーター素敵ですね』って言われたけど。」
「あの店長誰にでもいい顔する人でしょお!」
こっそり化粧室へと避難した渚だったが、ホッと一安心という心地にはならなかった。
「『誰にでも』」
自分に言い聞かせるように小さく独りごちた。あの整ったスマイルはそういうことではないか。会計の滑らかな手捌きと同じで、いつもどこでも、「誰にでも」行っている慣れた所作のひとつなのだ。当たり前の事実を確認しただけなのに、渚は肺が欠けたような息苦しさを感じていた。
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