03_楽園

2/4
前へ
/64ページ
次へ
 俺は次に果実酒のグラスを取った。酒というのは、各地域の特徴が大きく出る。発酵食品であることもあって飲みにくいものも多いし、うかつに飲んでひどい二日酔いにやられたこともある。だが、この酒は舌に覚えのある慣れた味だった。おそらくリンゴがなにかの発泡酒だろう。アルコール度数も低めで、妙な腐敗臭もない。安心して飲んで良さそうだった。  町の自慢だというパンをちぎってみる。素朴に焼き上げられた丸パンは、ちょうど人の顔の横幅ほどの直径だった。主食をシチューと考えればずいぶんと大きいが、おそらくパンがメインでシチューはつけあわせ程度に考えられているのだろう。特別に柔らかいとか、香りが強いということもない。見た目や手触りは、どこにでもある普通のパンだ。  だが。口に放り込んだ直後から、このパンに対する、いや、料理というものに対する評価が一気に変わった。  鮮烈。興奮。感動。うまく言えないが、なんとも表現しがたい強烈な感情が湧き上がってきたのだ。毒見しようと機能しはじめた舌が一瞬麻痺するような感覚。小麦の持つ深い甘みと繊細な香りが身体中に染み入ってくる。飲み込んだパンが腹に落ちていく間も心地よさは続いた。腹にたまった状態でも、まるで暖かい光を放っているように、パンのうまみが身体の芯から感じられる。食い物を食ってここまで衝撃を受けたのは初めてだ。まるで、このパンは幸福の塊のようだった。  無意識のうちにパンの半分以上を貪り食っていた俺を、宿の主人が自慢げに眺めていた。夢中になっている俺に声をかける。 「うまいだろう? ここのパンは」     
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加