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歌うようにそう言ってついてくる男に、俺は右手を軽く上げて、追い払う仕草を見せた。こういう調子のいい手合いは、物売りの可能性が高い。
「あはは、お兄さん僕のこと、押し売りかなにかだと思ってる~?」
無視して、先に進むのが一番だ。
「でもね、この町ではもうお金なんていらないんだよ~。お客さん用の宿はちゃんと用意してあるし、僕のお仕事はお客さんを案内することだから、君から離れるわけにはいかないんだぁ~」
ちょうど昼時らしく、町じゅうに香ばしい香りが漂っていた。それぞれの家の玄関先には主婦や子どもたちがバスケットを持って待っている。彼女らにパンとスープを配っているのは、先ほどから俺にまとわりついている若い男と同じ、青色のスモックを羽織った者たちだ。どうやら、食事が支給されるというのは本当らしい。どの家庭も媚びる様子なく、受け取った食事を抱えてうれしそうに、いそいそと家の中に戻っていく。配る側にも高圧的な態度は一切ない。楽しそうな笑顔を浮かべて一軒一軒を渡り歩いている。
本当に、ここは誰もが何不自由なく暮らせる楽園だというのか。
「ねぇねぇ~、お泊りなの? 見物なの~? 僕、それを聞かないと何にもできないよぉ~」
俺の袖口をひっばる若者に、俺ははじめて口を開いた。
「病人がいる。医者はどこだ」
「病人?」
「女房だ」
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