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俺は暗雲に支配された天を仰いだ。雲の割には霧雨のような細かい雨の粒が後から後から流れるように降ってくる。
こんな日は傘もたいして役に立たない。
俺は傘をたたむと逸る気持ちを抑え切れなくて、自転車をかっ飛ばした。
駅に近付くにつれ、こんな裏道でも車の姿がチラつき始める。俺は曲がり角に注意を払いながら駅を───というより最後の角を目指した。
シャーッと水を切るタイヤの音が濃くなった。自転車が重く感じられる。俺は最後の曲がり角を曲がった。すると───
「きゃっあ」
「うわっ」
人間、視界に予期せぬものが映った瞬間ってのは、それがどんなものであっても、まずは恐怖が全神経を制す。そして恐怖は声を生み出すのだった───てな前置きはさておき、俺は地面に足をつき自転車を止めると、振り返って衝突しそうになった人物に声をかけた。
「大丈夫か!?」
俺の声に反応して、まだらに散った泥の水玉模様のレインコートの背中がゆっくりと振り向いてきた。その姿に、
「あ……と、すみません、大丈夫でしたか?」
言い直したのは相手が年上の女性だったからだ。多分、俺のおふくろと同じくらいの。
俺が改めて謝ろうとした瞬間、その女の人は俺を───というより俺の自転車を睨むようにして見てくると、声を唸らせた。
「こんな雨の日に自転車なんて乗るもんじゃないわよ」
俺はちょっとカチンときた。確かに今のは俺の方に非があったかもしれないけれど、そんな言い方はないんじゃないか? しかも人が謝ろうとした矢先に!
俺は何か言い返してやろうと口を開いた。が、それより早くおばさんが落ちた傘を拾いながら、
「私の息子もね」
と切り出した。
「事故に遭ったのよ。───去年」
ドキッ一瞬、俺の中を戦慄が走った。
「……事故、ですか」
「そう。こんな雨の日に、自転車を飛ばしててね……」
ふっとおばさんは視線を足下に落とした。そこには一つの花束があった。
「そこ……で?」
黙ったままおばさんが頷く。俺は言葉を失った。だって事故現場に花って言ったら、一つしかないじゃんか……。
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