狂気の渦中

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狂気の渦中

 せっかくこの場を借りてこんな老害に話をさせていただけるのだから、ここは一つ、私の話をしようと思う。  ここに来てくれた諸君には既知の事実だろうが、私は物書きをしている。  それが、ただの自己満足なのかはおいておくとしても、兎に角私は文章を書いているのだ。  そんな私の話だ。  半年……いや、一年ほど前だったかな。  妻の母がこの世を去ってしまった。  それ自体にはなにも不思議なところはない。もうかなりの高齢だったから、それが原因だ。  しかしながらその死は、私の妻の心に夥しい数の傷を残した。  不審死のほうがまだ、あそこまで酷いことにはならなかっただろう。  人間の真理の一つは『探求』で、不自然なことは考えてしまうものなのだ。  そしてそこには、『満たされていない』という不満が生まれる──それでいい。  不満は生を渇望している証拠だ。  心が渇いているから、『解答』という水を欲する。  ──母の死によって妻の心に渦巻いたのは、ただの濁流だった。  濁った水を飲んだ妻は、探求をやめてしまった。ある意味で満たされてしまった。  私にもなにかできないかと必死に妻を扶助していたあの頃は、思い返せばまだ活き活きとしていたのだろう。  しかし、私では妻を取り戻すことはできなかった。  私がまだ、彼女の中で、彼女の母を超える存在になれていなかったことを、厭というほど突きつけられてしまったのだ。  この事実は相当に私を苦しめることとなる。  五十年来連れ添った女性が、まだ私に本当の意味では信頼を置いてくれていなかった。  私の五十年は一体なんだったのか。    妻が亡くなったのが先日のことだ。  母の死から一年積み重なった重みに耐えられなかったようだ。私と共同の寝室で、首を吊っていた。  目が覚めたとき、私を足蹴にするように幽然とそこに存在していた。  見るに耐えない、汚い死に顔だった。  目を見開いた醜悪な顔面から、視線を感じる。  ──恐い。  そう思うと、もう衝動を止められなくなった。  台所から包丁を持ち出し、宙に浮いたそれに向かって刺す。  何度も。  何度も。  何度も何度も何度も何度も何度も──  ……なんてね。冗談だ。ただの私の妄想だ。妻も元気にしている。  ここまで読んでくれてありがとう。  紳士の律儀な礼を想像してくれたまえ。  それではさようなら。もう二度と会うことはないだろう。  
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