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八十一、バルカ家の四兄弟 - Epilogo -
バルカ子爵家の四兄弟はそれぞれの愛馬に跨がって森を駆けている。
少年三人は皆シャツの上にベストを羽織り、細身のズボンを着ただけの軽装で、唯一の少女はニンジン色の細身のドレスの下に白いタイツと膝まであるブーツを履いている。
「本当にもう帰ってきたのか?」
長男のランゼ・ケイロンが前方を芦毛の馬に乗って駆ける弟に向かって言った。明るい栗色の髪が木漏れ日を受けて所々金色に光っている。この年の二月で十六歳になったランゼは、父親の身長にぐんと近付き、既に母親のそれを超している。面立ちは、母譲りのヘーゼルの瞳を除けば父親にそっくりだ。
「イグリさんから鳩が来たよ。二人揃って港に着いたって」
次男のジン・アミントレが後ろを振り返って答えた。母親と同じ赤みがかった金色の髪は肩まで伸び、それを後ろで一つに縛っている。母親を昔から知る人はちょうどイノイルに来た頃の彼女にそっくりだと口を揃えるが、ジンにはあまりぴんと来ない。髪の短い母が何となく想像できないからだ。体格は兄に比べればまだまだ少年の域を出ないが、ジンはまだ十三歳ながら父親の部下たちにも引けを取らないほどの馬術の腕前を持っている。
「‘アガタ将軍’だろう」
と、ランゼが眉を寄せて窘めた。こういう時のランゼは顔も話ぶりも厳格な父親そっくりだ。しかし、ジンは気に留めず、青灰色の目をぎょろりとさせて肩を竦めた。
「でも、エラの夫だし、エラもその子供たちも家族みたいなものだし、当然イグリさんも。今更って感じだよ」
「エラは確かに家族同然だが、今は王立療養院の事務官だぞ。少しは敬意を払え」
「頭が硬いなあ」
「ねえっ!そんなことより――」
二騎の後方から不満げに声を上げたのは、ジンの双子の姉サイ・テティシアだ。黒鹿毛の小柄な馬を駆けさせながら後頭部で一つに束ねたチョコレート色の長い髪を風に靡かせ、母とそっくりなヘーゼルの大きな目をキッと二人に向けた。
「二人とも、もっとゆっくり走ってよ。シオンはまだ遠乗りに慣れてないんだから」
「ああ、悪い」
ランゼが手綱をちょっと引いて栗毛の馬の首をぽんぽんと叩いた。ジンもちょっと渋々ではあったが、芦毛の馬の歩みを止めさせた。後方から小柄な鹿毛馬に騎乗した少年が追い付いてくる。
「ごめん、兄さんたち。僕がもっと上手に乗れたらいいんだけど…」
末弟のシオン・イオレンテがダークブロンドの短い髪をがしがしと掻いて、頬をちょっと赤くした。
「兄さんとジンがおかしいんだよ。シオンは十一歳にしてはかなり上手な方なんだから、謝る必要ないの」
鼻息も荒く姉に言われ、シオンは苦笑した。切れ長の一重まぶたも青みがかった灰色の瞳も父譲りだが、こういう顔は母親とよく似ている。
「それにしても、今回の外交任務は西エマンシュナで三か月の予定だったじゃないか?どうして二か月も経たないうちに切り上げたんだろう」
ジンが首を傾げた。
「もしかして、怪我とか病気とか…」
「よせ」
ランゼが鋭い口調で言った。二人が任務の途中で他の誰かに指揮を任せて離脱してくることなど、今までに一度もなかった。だからこうして四人揃って港へ迎えに行こうとしているのだ。ジンが言うまで誰も口にしなかったが、不安が拭えない。ところが、末弟のシオンが伸びやかに言った。
「あ、僕知ってるよ。母さんの妊娠が分かったんだって」
「は!?」
二人の兄と姉が揃って喫驚した。
「屋敷の誰もそんなこと…お前、なんで知ってるんだ?」
ジンが馬を進ませることも忘れてシオンに詰め寄ると、シオンはパカパカと次兄を追い抜き、得意げに唇を吊り上げて見せた。
「僕の情報収集能力を甘く見ないでよね」
「どんな手を使ってるんだ?」
ジンがゆっくりと馬を進め、シオンの顔を不思議そうに覗き込んだ。どういうわけか、兄弟たちが知らない情報をいち早く手に入れるのは、いつもシオンだ。
「僕なんて、リコさんにはとても及ばないよ」
「誰も海軍の情報局長となんて比べてないだろ」
「シオンは情報部門に興味があるのか」
ランゼが感心して言った。
「まあね。みんなが知らないことをいちばん最初に知るのって、超楽しいよ。リコさんみたいに膨大な情報源を持つのが夢なんだ」
「ああ…」
ランゼは遠い目をして生返事をした。つい最近、その情報源の一つについて耳にしたばかりだ。これについては、まだ十一歳のシオンには聞かせられない。
「それにしても、はああ、素敵!妹だったらいいなあ。弟でも嬉しいけど、やっぱり女の子がいい。そしたらイヴおじちゃんに二人の絵をたくさん描いてもらうんだぁ。父さんと母さんみたいに」
サイがうっとりと両手を合わせて喜びを露わにした。
「売れっ子画家に気軽に頼むなよ、サイ」
ランゼが父親そっくりの仕草で眉を上げた。
「サーシャおじちゃんは子供たちのを頼んでたよ」
「そりゃ兄貴だからな」
「可愛い姪っ子の頼みなら聞いてくれるよ。それにわたし、イヴおじちゃんには貸しがあるし」
「貸しなら俺も、シグロおじさんにあるぜ」
ジンが双子の姉に張り合って言った。
「お前たちなあ」
ランゼが呆れたように肩を落とすと、ジンがニヤリと笑った。
「で、絵の題名は‘じゃじゃ馬とちっちゃいじゃじゃ馬’か?」
「何よそれ。みんな兄弟が増えるの嬉しくないの?」
「もちろん僕は嬉しいよ!下っ端卒業できるもん」
シオンが胸を張った。
「そりゃ嬉しいけどさ…、うちに入りきるのか?」
「寝室なら一つ空いてるじゃない。赤ちゃん一人の部屋くらい――」
「お前聞いてないの?秋からラウラとミルテがオアリス大学に留学するからこっちに住むんだぜ」
「ええ!!そうなの!?じゃあわたしたちと一緒に通えるんだよね!すっごく嬉しい!嬉しいことがまた増えたあ!」
サイが馬上で小躍りしたので、黒鹿毛の馬はちょっと迷惑そうに鼻を鳴らした。
「二人ともユルクス大で医者の資格も取ったはずだけど…まだ勉強するのかな?」
「今度は薬学の研究で学位を取るそうだ」
「さすがランジー、双子の叔母とまめに連絡取り合ってるだけあって詳しいな」
「お前も少しは叔母たちに聡明さを分けてもらえ」
「イトコみたいな叔母な」
シオンとサイがケタケタと笑い出した。
「それから、部屋なら問題ない。近々俺は兵舎に移る予定だ」
「えっ」
双子が同時に声を上げて兄の顔を見た。
「僕は知ってた」
「ええ…そうなのぉ」
泣き出しそうなサイの顔を見て、ランゼは思わずぷっと吹き出した。
「お前は笑ったり泣いたり忙しいな」
「まあ、近所だし」
ジンは気丈に言ったが、ちょっと自分に言い聞かせているようでもある。
「ああ、でもそうしたらうちに母さんと同じ顔したやつがまた増えるのか…」
ジンがサイを見て言うと、サイは揶揄うようにニヤリとして白い歯を見せた。
「それ自分のことでしょ」
「黙っとけティティ」
と、ジンがサイの幼い頃のあだ名を呼んだ。父のかつての愛馬の名と同じだ。サイはベーッと舌を出した。
「ミクラおばあちゃんが喜びそうだよね。あらあらぁ~!女の子が増えて華やかになるわねえぇ~って」
「ちょっと、やめてよシオン。似てて笑える」
「エンジじいさまも喜ぶな。顔には出さないだろうけど」
「ジュードじいちゃんはまた泣くんだろうなあ」
「でグレタおばあちゃんに怒られるのね」
双子が互いの顔を見てニヤリとした。
「俺は母さんの身体が心配だ。もちろん弟妹が増えるのは嬉しいが」
「大丈夫じゃない?グレタおばあちゃんだって四十超えて双子産んだんだしさ」
「改めて考えると、うちの家族構成って一体どうなってんだ?」
ジンの言葉に三人とも笑い出した。
「まあ、いいじゃない。うちの家族は特別って感じがして」
やがて四人は賑わうオアリスの市街地を抜け、田園地帯に差し掛かった。夏の湿気を含んだ風がほんのり潮の匂いを帯び、田畑の青草をさらさらと揺らしている。そこへ、前方から馬の蹄の音が聞こえてきた。疾駆している。
「あっ!」
普段は物静かなランゼが珍しく叫んだ。
「あ」
後方のジンとサイも同時に声を上げた。
シオンが前方に向けて目を凝らすと、畑と畑の間を縫うように土煙を巻き上げながら物凄い勢いで二騎が駆けてくる。
「あれは…父さんと母さんだね…」
「競走してるよ」
「ハハ、二人ともすげー速さ」
「悠長なことを!母さんは妊婦だぞ」
「妊婦って馬乗っていいの?」
「仲良いなあ」
「いつもでしょ。まったく、しょうがないんだから」
「おーい!バルカ将軍!通詞どのー!」
ジンがふざけて大きく手を振ると、子供たちに気付いた両親が馬を止めて大きく手を振り返してきた。
空気がキラキラと夕方の色に染まり、地面に彼らの影を伸ばしている。子供たちの笑った顔も夕陽で黄金色に染まった。
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