ねこのきもち

5/19
前へ
/19ページ
次へ
顔を上げるとおばあさんがいた。 よぼよぼの優しい笑顔のおばあさん。 いつの間にか知らない家に迷い込んでいたみたい。 早く出て行かなくちゃ。私は慌てて出口へ走ったけど、後ろから呼び止められる。 「ちょっと待って、真っ白な野良猫さん。 ちょうどおやつにするところなの。あなたもいかが?」 するとおばあさんはポケットから猫用のおやつを取り出した。 それを合図にどこからか野良猫たちがぞろぞろと集まってくる。 「なんだ、新入りかい?」 「よろしくね」 野良猫たちは私に軽く声をかけ、おばあさんの周りに集まる。 おばあさんは白いお皿におやつを入れた。猫たちはそれを嬉しそうに食べる。 おばあさんが私を手招きする。少しためらった。 「私も、いいの?」 「ええ、もちろん」 おばあさんは笑顔で言った。 私はおそるおそる、輪に加わった。 他の猫たちの間から頭を入れ、お皿の上のおやつを食べた。 トロトロで柔らかくて、とても美味しい。 偶然にもおばあさんのくれたおやつは、元いた家でよく食べていたのと同じだった。 おばあさんの手が私の頭に置かれる。 優しく撫でるその手の温かさも同じだった。 おばあさんは私を撫でながら尋ねた。 「あなた、お名前は?」 名前。 とっさに頭の中で声が聞こえた。 その音色はとても温かく、懐かしく、心に染みわたる。 つい昨日までいた家で聞こえていた声。呼ばれていた名前。それは、 「忘れたわ」 私は笑った。するとおばあさんも笑った。 「そう。それじゃあ素敵な名前をつけてあげましょうね」 あの頃の私はもういない。あの頃の私を呼ぶ人ももういない。 「それじゃあ、シオンちゃんにしましょう。花の名前よ。ちょうどあなたの瞳と同じ色なの。素敵でしょう?」 私は少し笑って、再び白い皿に視線を落とした。 名前なんてどうでもいい。それでも、これで本当に生まれ変われた気がして、嬉しかった。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加