≪エピソード・1≫

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 ガソリンスタンドのバイトが終わるのは、閉店時刻の午後10時。  その後、少しゴタゴタやって、店を出るのは半過ぎと言ったところか。  スタンド脇に置き場を確保した自前に自転車に股がり、バイト仲間達と別れると、ゴールデンウィークを過ぎ初夏の雰囲気を漂わせ始めたこの時期は、自転車通勤が最も楽しくて仕方なかった。  だが乗車時間はそんなに長くない。十分も乗ったか乗らないかの内に、早くも乗り降りられたその自転車は、今度はビルとビルの隙間の壁に適当に立て掛けられる。そして自身はさっさとビルの入り口に身を寄せて、足早に階段を下って行った。  店内には見慣れた顔ばかりが覗けた。平日の夜はほとんどが顔見知りで埋め尽くされるショットバー。細やかながら存在するするダンスフロアにはただテーブルを置くのが億劫だったからと言うオーナーの適当さ加減が作り出した場だった。  それゆえ正式な従業員は一人、客は適当に作られたつまみや酒を、セルフサービスでカウンターまで取りに行くというスタイルでこの店の営業は成り立っていた。  だがその形式は、一人の人物の登場によって様変わりする。特に誰との知り合いというわけではなく、言うなれば常連客の一人でしかない人物に過ぎないのに、気がつけば誰もが彼のペースに飲まれているのだった。  まるで専属ウェイターのようにまめな動きをしていたかと思えば、いつの間にか皆を巻き込んでゲームに興じていたり、世間の雑ネタからカクテルに纏わる洒落た小話と、尽きぬ話題の宝庫でもあった。  だかそんなにも存在力のある人物なのに、彼の名を知っているものはいなかった。あまりにこの店に馴染んだ彼の雰囲気から、オーナーの知り合いだと思っている常連客は多かったが、そうではないことは唯一の店員でありオーナーの甥っ子である青年一だけが知っている真実。
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