第4話 赤煉瓦倉庫にて、斬られた首を拾う

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第4話 赤煉瓦倉庫にて、斬られた首を拾う

 すっきりしない気持ちを抱えたまま、十五郎は練塀町(ねりべいちょう)から神田川に架かる和泉橋を南へ渡り、警察署を背にして川沿いを東へ向かった。  つるしんぼうと呼ばれる古着屋が広がる一角を過ぎると、ぽつんと赤煉瓦倉庫が建っており、ここが十五郎の出仕先である。  身分としては帝国陸軍憲兵科となるが、具体的な任務は知らされていない。同郷の先輩にして上司となる舩坂少佐とは入隊前からの付き合いだが、来れば分かるとして、なんらの説明もなかった。  気楽な性格の十五郎だが、訳も分からぬ先への初出仕で、さすがに緊張の面持ちである。  倉庫の正面入り口に向かうと、鋼鉄製の折り戸の奥から、カーン、カーンと金属的な音が響いてきた。表には「帝国陸軍被服本廠神田倉庫」と銘板があり、支給品の検品でもしているのかと思えたが、一本気な軍人そのものの舩坂少佐が為すこととも思えぬ。まだ刀鍛冶の方が似合いそうである。  紛いなりにも陸軍の施設だ。折り戸に鍵くらいはかかっているものかと思えば、意外や意外、ガラガラと滑りよく戸は開いた。ひんやりとした空気が流れ出して足を撫でる。  高い天井の梁はむき出しで、吊り下げ式の引き戸で区分けされていた。開いたままの入り口から日の光が入り、ぼんやりと中の様子は分かるが、真昼にも関わらず、薄暗く、寒々とした様相である。  カーン、カーンという音は止むことなく続いており、引き戸の奥に人の気配もある。十五郎は音の出所へ向かい、引き戸を開いた。  そこに見えたのは、白装束に身を包んだ若い女の後姿である。暗闇に浮かぶ白い肢体は、(なまめ)かしいと言えなくもない。  女は、懐から何やら取り出すと、静かに十五郎の方へと振り向いた。黒く澄んだ瞳に冷たい表情を浮かべており、突き出した両手には、鞘に納めた護り刀が握られていた。 「見てしまいましたね」  と、女が護り刀を鞘から引き抜いた。「申し訳ないけれど、死んでください」  床に捨てられた鞘が、カランカランと音を立てる。委細分からぬまま、気圧された十五郎が一歩下がると、女も一歩前へ出る。  逃げ出そうとした時、常人離れした跳躍を見せた女が引き戸のレールを片手で掴むと、身体を回転させながら、十五郎と出口の間に降り立った。それと同時に間合いを詰めてくる。  奥へ押しやられるのは不味いと思いながらも、十五郎は後ろに跳んで女の初撃をかわした。目の前を横なぎに、切っ先が白い筋となって疾り抜ける。  さらに女は、白い足を剥き出しにして鋭い蹴りを放った。それも何とか躱した十五郎だったが、柱を背に、追い詰められた格好となった。  柱には藁人形が釘付けにされており、ぎょっとして動きの遅れた十五郎である。  斜め下から振り抜かれた一太刀目を、身をよじって避ける。上段から二の太刀が繰り出される寸前に、護り刀を持つ女の右腕、続けて左腕も掴み、両腕を掴んで対峙することとなった。  少しも動揺することなく、やるねぇとつぶやくと、女は身体をのけぞらせて頭突きを見舞った。そのまま受ければただでは済まないところ、十五郎も頭突きを被せ、二人ともに身体をふらつかせる。  一瞬早く女が体勢を戻し、刀を放り捨てると、手を振り解いて間合いを取った。腕を組んで仁王立ちだ。 「殺す気でやったのに、やるじゃないか。これくらいにしておいてやるよ」  しかし、余裕たっぷりの言葉とは裏腹に、頭突きが効いたらしく明らかに涙目である。いつから居たのか、そばの椅子に腰掛けていた若い男が口を挟む。 「涙目になってますよ」 「やかましい!」  言うと同時に、男を蹴り飛ばした。「はんっ! こんな格好までしてやったんだ。感謝しやがれ」  吹き飛ばされた男を尻目に、咳払い一つ、改めて十五郎に向きあうと、にっと笑ってみせた。 「あんたが、初日から遅刻の将校さんだろ? 気に入ったよ」 「そりゃあ有り難いが、さっぱり状況が分からんな」 「そうだねぇ、細かい説明は苦手なんだが。あたしは千代と呼ばれてる。これから、あんたと一緒に働くことになるよ。あと、そこで無様に引っくり返ってるのが、えーと、なんたら正二だったかな」 「正三、風間正三です」  身を起こしながら、男が不満そうにいう。「千代さんと同じく、貴方の部下になります。よろしくお願いします」 「ああ、そうそう正三だったね。思い出した。手妻だか奇術だかをやってたらしいや。世に蔓延(はびこ)る幽霊話や妖怪話、奇跡に祈祷に予言に呪い、すべて嘘八百の迷信だって言い張るんだよ。つまんないよねぇ」 「つまるとかつまらないとか、そんな話じゃありません。この文明開化の御世に、迷信は不要です。いまだに偽暦を買う連中がいるんだから困ったものですよ。お化け暦なんて、誰が作っているのやら」 「……だってさ。その割には、藁人形への一打ちごとに嫌そうな顔をしてたじゃないか」 「そりゃそうですよ。迷信と関係なく、気分は悪いでしょう」 「へっ、本当に信じてないなら気分が悪くなる道理もないさ。それこそ迷信じゃないか」  などと言い合う二人に、十五郎が問いかける。 「この藁人形、丑の刻参りの真似事かい?」 「そうだよ。何でもかんでも迷信だ迷信だと五月蝿(うるさ)いから、試しに正三の髪の毛を入れて写真を貼り付けてやったんだ。こんなもの効き目があるわきゃないさ。護法人形が呪いの道具に転じたんだから、そもそもが間違ってるんだ」 「そんなら、わざわざ白装束まで着て、なぜそんなことを?」  十五郎の問いに、にっと笑って応じる。 「そりゃ、こいつへの嫌がらせさ。呪いなんて信じないと言いながら、一打ち一打ち、嫌そうな顔をするのが楽しくってね」  千代の答えを聞いて、正三は、これまた嫌そうな顔をしている。 「また、くだらん話をしているな」  話に入ってきたのは、舩坂和馬少佐である。明るい日差しを背に、白い軍服が輝いている。 「さあ、藁人形(ごみ)を片付けて、千代も服を変えてこい」 「はいはーい」  軽く応じて千代が身を(ひるがえ)す。奥へ向かいかけて、思い出したように振り返ると、軽やかに跳んで十五郎の眼前に立った。その顔を楽しそうに覗き込み、 「将校さん、お名前は?」 「稲田十五郎だ」 「十五郎か、良い名だね。お近付きの印に、兄さんも髪の毛を一本もらえるかい?」 「藁人形に入れるのか?」 「そうそう。試してみたくない?」 「そうだな。別に構わないが……」 「じゃ、もらうよ」  嬉々として髪の毛を毟り取ろうとしたところ、ふっと身を躱されてつんのめった。 「なに避けてんのさ」 「いや、やっぱり止めておくよ。呪いなんぞ信じているわけじゃないが、無駄に試すようなことをする必要もない。あるものは、あるままに。ないものは、ないままにだ」 「ふーん。あんたはそういう感じなのね。正三よりは面白いじゃないか。あたしは、ないものもあった方が楽しいと思うがね」  にっと笑ってみせると、護り刀を拾い上げ、藁人形の首を切り飛ばした。 「正三、あんたの首、拾っておきな」 「自分で片付けてくださいよ」  嫌そうな顔をしながら、大事そうに藁人形の首を拾い上げた。正三は、そっと自分の首に手を当てており、まるで、そこに首があるかどうか確かめているかのよう。
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