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第40話 縁は異なもの味なもの
腐っても、と言っては失礼だが、腐っても名門の神尾家。先代当主が亡くなり、紆余曲折はあったものの、遊学中の琴葉の兄、神尾瑞樹が当主を継ぐこととなった。家のことも落ち着いて降って湧いてきたのが琴葉の縁談である。
明治の頃の女学校では、わりと自由に授業を参観することができ、良家の子女を見初める場ともなっていた。結婚相手を求める男性本人というよりも、その親が身元も確かで教養もある女学生の中から嫁候補を漁りに来るのだ。
琴葉が通う女学校でも例に漏れず。
ただ、これまでは先代当主の神尾しのが目を光らせており、縁談話が琴葉本人にまで降りてくることはなかった。それが現当主の神尾瑞樹も不在とあって、世話好きの琴葉の叔母、安川夫人を通して、頻繁に縁談話が舞い込んでくるのだという。
当時、女性は十五歳から結婚できたため、縁談がまとまれば女学校を中退することも多かった。むしろ女学校を卒業する生徒に対して、嫁候補の選に漏れたとの侮蔑をこめて、卒業面などという酷い言葉もあったという。であれば、縁談が舞い込んできて困るというのは贅沢な話ではあるのだが。
「いまのところは当主不在を理由に断らせてもらっております。ただ、なかには会って話したいと仰る方もおられて。京橋に本家がある高宮家の方が当家を訪ねてみえるのです。家柄も良いし、相当の資産家で、こんな良い話はないと叔母は言うのですが」
「気が進まない、ってことだね?」
と、にやにやしながら千代がいう。
「そいつは、あたしじゃなくて十五郎に相談することだね。誰だって、人に取られそうになったら、しっかり自分の手元に置こうとするものさ。そうと決まれば今からだ」
「ええ? 今からですか」
「そうだとも。善は急げ、何事も勢いだ。若気の至り、気の迷い、向こう見ずの無鉄砲、思慮浅薄に軽挙妄動、かかって来やがれだ。足元なんざ見ることはない。着地は跳んでから考えりゃいいのさ」
昼食の支度もそこそこに、少佐と十五郎が書類仕事に追われている一室へと連れて行かれた琴葉である。千代が勢いよく扉を開く。
「ちょいと邪魔するよ」
「おや、もう昼時だったかい?」
のんきに応じるのは標的の十五郎である。そこへ千代に促がされて前に押しやられてきたのが琴葉だ。申し訳なさそうにいう。
「おいそがしい最中に、あい済みません。なんと言いますかその……」
言いかけて気が萎えるのか千代の方を見る。力強く頷く様子に力を得て、
「実は縁談の申し出を受けまして。京橋の高宮家の御子息とのことです。私にはまだ早いようにも思うのですが、十五郎さんはどう思われますか」
「どんな人かにもよるだろうが、良い話じゃないか。受けてみるのも良いのでは?」
「あ、そ、そうですよね。良い話ですか、はい」
と応じて、すごすごと部屋を出て行く。
それを見送って扉を閉め際、千代が出口付近にあった物を投げつけた。とっさに避ける十五郎だが、置時計が壁にぶつかって四散した。続いて、千代の叫び声が響く。
「この馬鹿! 唐変木め!」
と、そのようなことがあって数日。
高宮家の使いの者が神尾家を訪ねてきていた。使いと言っても、琴葉の婿候補の叔父に当たる人物で、同行してきた安川夫人は、終始笑顔である。
対して、当の琴葉本人は借りてきた猫か人形か、神妙に座って使いの人物と安川夫人との会話を聞いているだけだった。
それを控えめで淑やかととったか、話はとんとん拍子に進んでいき、区切りよく女学校を中退して結婚するところまで決まっていった。だが、楽しげに笑う叔母とは対照的に、琴葉はどこか他人事のよう。
一方その頃、詰め所として使っている部屋では、憮然とした表情と態度の千代が、書類仕事に努める十五郎を見つめていた。
書類を落としたり取り違えたり、果ては飲みかけた御茶をそのまま床に零すなど、その様子は明らかにおかしい。千代が強く床を踏みつける。
どん、と太鼓のような音が響いて、机上に置かれた湯飲みが飛び上がった。少佐は慣れたもので、動じた様子もなく空中で湯飲みを掴んで元へ戻す。
「十五郎!」
と、千代が呼び捨てる。
「さっきから見ていれば、なんだいあんた。気になるんだろう? 応接間の話。琴葉の縁談がどうなるか、気になるんじゃあないのかい?」
「そりゃあ気になるさ」
「なんでだい?」
「なんでって、それは……」
黙り込む十五郎に、苛立った声でいう。
「好きなんだろう? 琴葉がさ。どうなんだ?」
「歳も身分も釣りあわない話だ。俺には……」
「ええい、まどろっこしい! さっさと行って、縁談を断ってきな!」
「断るってお前。何の権限があって、そんな」
「い、い、か、ら、行け!」
立ち上がった千代が、十五郎の胸倉を掴んで持ち上げた。すると、それまで黙って見ていた少佐が、笑いながら千代の手を掴み、そっと下へ引きおろした。
「いつになく力が入っているじゃないか」
「はっ! 知らないね。ぐじぐじしたのは性に合わないのさ」
「自分に重ねてしまうのかな。だが、この二人は大丈夫だ」
と言うと、十五郎に向かって優しく続ける。
「互いの身分や相手の立場、いろいろなことを考えて動けずにいるのだろう? だが、心配するな。とりあえず行って来い。あとは私が何とかしてやる」
「……すみません」
その後のドタバタ劇は蛇足というもの。琴葉の意思と関わりなくまとまりかけていた縁談は、十五郎の登場ですっかり潰れてしまった。
何をなんと言ったか、自身もよく覚えていないまま縁談は立ち消えとなり、謝る十五郎に上機嫌で応じる琴葉は、いつもの愛らしい笑顔となったのだ。
ところが後日、この蛇足の影で、とばっちりで人生を終えた者もあり。
その者の死体を前に、血まみれの手を振って返り血を払うのは明石吉之助である。そばには頭巾の下で顔をしかめる小高小夜の姿。
「明石様、なぜこのような者を……」
「殺したかって? いや、なに、絡め手から神尾の御令嬢を手に入れられるかと思ったが、うまく行かなくってね」
「これでも名門高宮家の者。殺してしまっては何かと面倒かと」
「わかってる、わかってる」
ひらひらと手を振りながら、明石がいう。
「でもねぇ。なかなか思うようにいかないし、下手に出てれば偉そうに。自分の無能を棚に上げて、こっちを責め立ててくるし。昔から、貴族だの殿様だの、御大臣連中とは気が合わないんだよ」
「それはわかっていますが……」
「わかっていますが、なんだい?」
「いえ、なにも。後は私が」
「うん。片付けよろしく。面倒なだけで意味がなかったなぁ。やっぱり直接行くか」
明石が伸びをして部屋を出て行き、残された小夜は、悩ましげな表情でその後ろ姿を見送った。
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