第45話 魂鎮めの歌

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第45話 魂鎮めの歌

 肉に食い込む手応えに、過たず心臓を突いた確信があった。だが、明石の見開いた目に映ったのは、葛葉の前に串刺しになって立つ小夜の姿だった。口中から血を吐いていう。 「明石様。他の女に浮気するなど、いけずなことで。まずは私を送ってくださいまし」  ずぶり、ずぶりと刃を食い込ませながら、小夜が一歩ずつ近付く。明石が刀から手を離すと、支えを失ったように倒れこみ、もたれかかるようにしながら明石を抱きしめた。焦点の合わない目と、力が抜けていく両手で掻き抱くように。  潮騒の中、魂鎮めの歌を小夜が歌うが、歌い終えることなく事切れていた。  明石は、葛葉のことも、少佐や十五郎のことも、すべて忘れたかのように、ただ優しく小夜を横たえると、刀を抜き取った。 「そうか、そうだったな。お前を送ってやるはずだったんだ。お前の呪い、私が浄化してやろう」  震える手で、小夜の口元に手を当てた。  薄く、緑色の光が湧き立ち、その手には一枚の鱗があった。それを大事そうに口に含むと、ごくりと飲み込む。苦しげな表情にも、どこか優しげな色合いがある。十五郎も正気付いてその様子を見ていたが、不意に、明石が喉と腹を抑えてうずくまった。口元から黒い瘴気が立ち上っている。  捨て置かれていた刀を手に取ると、明石は身を起こしざま、自らの腹に突き立てた。鮮血と瘴気とが赤黒く染まって吹き出してくる。刀を突き立てたまま、十五郎に向かっていう。 「身中の呪い蟲が騒いでいる。私を殺せ。今のうちに殺さなければ、この場の者、全員を殺すだろう。早くしろ」  腹中から抜き取った刀を十五郎に差し出した。 「浄化しきれなかった滓のような蟲どもが一体に合わさったのか。この私が呪いに喰われるとは情けない。唯一の心残りは、最後に、この蟲を野放しにしてしまうことだけだ」 「その点は御安心を」  と応じるのは葛葉である。 「私が、きちんと祀りましょう」 「ふふ、そうかい。君がねぇ」 「言い直しましょう。私たちが、です」 「ふぅん。君たちが、か」  刀を受け取った十五郎は、迷いながらも明石が助からぬことを悟り、介錯をという執拗な求めに応じて、その首を一刀の下に斬り落とした。落ちた首が波に洗われ、吹き出た瘴気が海に溶けていく。  首のない体も、ぐらりと揺れて倒れこみ、その体から喉を伝って外へ、小さな奇形の蟲が姿を現した。子供の手のひらよりも小さく、獣の毛や鱗のようなものをまだらに体に張りつけた醜い生き物だった。それを、ひょいとつまみあげると、琴葉は胸元から取り出した小さな箱に仕舞い込んだ。  布のような金属のような不思議な光沢をもつ音なしの箱である。きーきーと、箱から出ようともがく生き物を箱ごと胸元に戻し、もの問いたげな十五郎に向かっていう。 「ふふ、気になりますか。これは確かに音なしの箱。でも、ただの箱です。だって本物は、幼い頃、遊びに持ち出して失くしてしまったのですもの。  これは母が似せて作ってくれた品で、私にとっては本物よりも大切な懐かしい箱です。箱が本物であれ、偽物であれ、然るべき言葉によって、私たちが責もって祀りましょう。琴葉と葛葉とで。  小夜様も明石様も安らかにお眠りを。小夜様が歌われた魂鎮めの歌は、私も知っている力ある歌です。二人で歌い上げて見せましょう」  一人でありながら二重唱のように、琴葉が、あるいは葛葉が魂鎮めを歌っていると、歌が海を呼んだのか、大波が押し寄せてきた。明石と小夜の死体は波に呑みこまれ、海の奥深く消え去り、後にも上がることはなかったという。
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