異聞〈父母の巻〉

1/1
前へ
/54ページ
次へ

異聞〈父母の巻〉

 さて、時は明治、場所は江戸、いやさ東京。いまだ人心安らかならぬ帝都において、と、まあ、繰り返すのは止めておきましょうか。  私、出番の少ない端役の鬼子、神尾葛葉(かみお くずは)で御座います。  今に出番をやるからなどと、あらすじに、活動報告に、横暴な作者(のうなし)の思いつきで、こき使われております。  とうとう短編にまで駆り出される始末。酷薄な勢子が操る猟犬に、容赦なく追い立てられる(うさぎ)といったところ。  日々、涙で枕を濡らしております。  いやはや本当に、年端も行かぬ少女を奴隷の如き扱い。親の顔が見てみたいとは、このことで御座いましょう。  ですが、皆様方に愚痴を垂れても詮無きこと。作者(ひとでなし)を誅殺するのは後に回しまして、今は語ると致しましょうか。  これは、私の父と母の馴れ初めの話で御座います。  亡くなった母から聞いた話ですから、いくらか誇張や美化もありましょうが、思い出すに懐かしく、母の悪戯っぽい顔が(まぶた)に浮かびます。  まずは母のことから。  当時、その美貌と妖しげな雰囲気から、玉藻前(たまものまえ)(なぞら)えて、玉藻大夫(たまものたいふ)と呼ばれていたそうです。いわゆる遊女でありますが、容易には春をひさぐこともない高位の者でありました。  熱狂的な信奉者も多く、中には、母の死後、殺生石ができはしないかと本気で心配している者もいたとかいないとか。  如何なる経緯で遊女となったか、それは笑って語らず。出自もわかりません。自分では、もとは狐だったのさと笑っておりました。  一方、父のことです。  名門神尾家の次期当主として、母と出会うまで、およそ遊女などとは縁遠い真面目な愛妻家でした。しかし、母との出会いは衝撃だったそうです。  義理のある方に半ば無理やり連れて行かれた御座敷で母の姿を見て、すべてを投げ打ってでも身請けしたいと思ったとか。妻帯し、子供もある身でしたし、厳格な祖母とは相当に衝突したとも聞きます。  母の方も、この純粋で真っ直ぐな青年をもてあまし、すぐにも心変わりするものと思っていたそうですが、先妻が亡くなるまで十年、男女の交わりもなく、ただ姿を見に通う父に母も心を動かされ、いろいろ問題はあったものの、ひっそりと籍を入れたということです。  しかし、当時、祖母も元気で、神尾家に出自も分からぬような狐大夫を入れるなど(まか)りならんと、それはもう、ごうごうと気炎を吐いていたそうで。  結局、いまでも母は一族とは認められず、その墓も屋敷裏手の野っ原の中に犬畜生の墓のごとく、ぽつんと石積みされてあります。  幼い頃は、母に会えるような気がして、遅くまで、よく墓のそばで遊んでおりました。  父と母の祝言も寂しいもので、祖母を含めて神尾家の方は、ほとんど欠席だったそうです。  ただ、これは祖母から聞いたもので、誇張も美化もない本当の話と思いますが、私の好きな話がありまして。  輿入れに際しても、身寄りのない母のこと、荷物も付き添いも少なく、しかも、夜を待ち、野っ原を通って裏から入れとの惨めなもの。  祖母は元来情の深い方でしたので、家の格のために指示したとは言え、少々、酷であったかと、影ながら様子を見守っていたそうです。  すると、輿入れの一行が裏手の森を抜け、野っ原にさしかかった頃、見守る祖母の目に、提灯の光が、ぼうと浮かび上がります。  ひとつ、ふたつ、と思う間に、ぽんぽんと灯が現れ、山向こうの、こちらに、あなたに、無数の光となって幻のごとく。姫君の行列もかくや、光の筋となって屋敷に向かってきた。  何が起こったのかわからぬまま、それでも、恐さより美しさが勝って、祖母は、じっと行列を眺めていたそうです。  屋敷の明かりが届くところまで来ると、順々に光は消え失せ、最後に、数人の付き添いとともに母が輿入れし、気付いた時には、すべての灯は消えていたと言います。  母を出迎えた父は、そんな光は見なかったと言い、祖母は、これが狐火というものかと思い、しかし、不吉さを感じることはなく、自らの指示を恥じたそうで。  昔から狐狸神仙の類は深山幽谷に遊ぶと言いますが、当家の裏手の森と野っ原も、狐狸の遊び場となっているのでしょう。  いやはや粋な狐もいたものです。およそ自らに恥じることなどない祖母を深く恥じ入らせるとは、見事なお手前で御座いました。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!

66人が本棚に入れています
本棚に追加