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第15話 かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし
最初に身を起こしたのは千代である。
嵐雲は嘘のように掻き消え、夕陽に呼応するように残り火がちらちらと移ろう。橋の欄干に身体を預け、赤く染まった川の流れに目をやる。続けて周囲に目をやると、どうやら誰も殺されずにすんだらしく、それぞれ身を起こそうとしているのが分かった。近付いてきた正三に向かっていう。
「やれやれ、折角の召し物が台無しだ。この着物の代金、官費で出るんだろうね」
「知りませんよ。そんなことは」
応じながら、ところどころ破れた着物から覗く千代の白い肌に目が行く。きめ細かい肌が、夕陽を浴びて艶やかに光っていた。
千代が、欄干にもたれかかって空を見やる。
「見てごらん。綺麗だねぇ。あの人も、どこかで見てやしないかねぇ」
静かにつぶやき、懐からキセルを取り出して口に咥えた。乱れた前髪の間から、一筋の赤い血が流れ、糸を引いて頬を伝った。
千代の横顔は純な娘のようで、橋から何かを落としてしまったのではなかろうか。夕陽に溶け込むような鮮やかさ。その横顔に見とれた正三は、あなたが綺麗です、と口に出しかけて止めた。
さて、後日談である。
辻斬りが逃げ去った先、西町のあたりで一軒の邸宅が全焼し、複数の死体と無数の人形が、焼け焦げた姿で見つかった。
主人は資産家で色欲旺盛、そちこちに囲った妾を巡り、ほとんど自宅に寄り付かず、若い正妻ひとりが寂しく暮らしていたそうな。
寂しさを紛らわせるためか、からくりから生き人形、市松人形、ビスクドールまで、ありとあらゆる人形を集めていたという。
火事の当夜、近隣の者が辻斬りの姿を邸宅近くで目撃していたが、火の勢い凄まじく、焼け残った死体も人形も、ほとんど判別がつかぬ状態であった。
辻斬りが何者であったのか、あるいは本当に燃えて消えたかどうか。
見つかった死体は主人と妾で、火事の前から死体であったとも検案されている。その下手人は正妻でもあろうか。邸宅を燃やし尽くした炎は、嫉妬の炎ではなかったか。げに恐ろしきは人の心。と思うところにて、ひとまず閉幕。
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