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第5話 江戸の裸と猿の腕
赤煉瓦倉庫の中は存外広く、奥には炊事場と食堂もあった。ただの倉庫というわけではないようだ。テーブルが置かれた洋風の食堂には鎧戸のついた窓から晩冬の光が差し込み、目に眩しいくらいである。
十五郎は、まだ昼飯というか朝飯も食べておらず、話は飯でも食いながらだという舩坂少佐の提案は有り難かった。
賄い方は千代である。あらかた出来上がっていたらしく、さほど待つこともなくライスカレーが出てきた。田舎育ちの十五郎は、見聞きしたことがあっても食べるのは初めてだ。おっかなびっくり、少佐の真似をしてスプーンを口へ運ぶ。
その様子を面白そうに千代が眺めていた。白装束から着替えた質素な着物に襷をかけて、女中のような格好である。二口、三口と勢いよく食べだした十五郎の姿に、満足気に頷いてみせる。
「美味しいかい? そうか、そうか。そうだろう、そうだろう。
あたしは、いろいろやってきたからねぇ。旅芸人から、盗人、乞食、巫女の真似事もしたし、遊女だってやったさ。山伏に怪しげな術を教わったこともあるし、忍術まがいのことも習ったねぇ。旅の坊主から御経の読み方も教えられたっけ。ちょいと出自を偽って、大きな屋敷で女中を務めたこともあるんだよ。
あんたが食っているのは西洋料理通って本に出ていた料理だ。もちろん、本に出ていたからじゃなく、あたしが作ったから旨いのさ」
「こいつは掛け値なしに旨い」
「そうだろう。わかってるじゃないか。栄養もあるんだよ」
と言って、にっと笑う。
二杯目を頼む十五郎を尻目に、早々に食べ終えた舩坂少佐がいう。
「改めて二人を紹介しよう。冬柴千代と風間正三だ。軍人ではないが、部下と思ってもらって構わない。
千代についてはだいたい知れたかな。
自分でペラペラ喋っていたように、経験豊富な上、そこいらの男には負けない腕っ節と身のこなしで大いに役立ってくれている。少々適当なところもあるが、そいつは御愛嬌といったところか」
「そうそう。度胸も愛嬌も、あって困ることはない。よろしく頼んましょ」
「次は手妻師の正三だ。海外へ出て西洋の奇術も身につけた男で、その手の動き稲妻の如しとはよく言ったもので、私の目でも見切ることはできん。
何より、腰軽く器用に何でもやってくれるので、これまた重宝している。柔らかな物腰ながら意外と頑固なところもあるが、芯が強いとも言えよう。上手く使ってやってくれ」
「はあ、僕の腰が軽いというより、千代さんの腰が重すぎ……」
最後まで言い終えることなく、立ち上がった千代に蹴り飛ばされていた。足蹴にされる正三をそのままに、少佐が話を続ける。
「我々の所属は、表向きは帝国陸軍被服本廠となる。もちろん、そういう仕事ではないがな。実際の任務は迷信の取締りだ」
「迷信ですか?」
「文明開化の明治の世に迷信など不要ということさ。裸体禁止令というのがあったろう。諸外国からの要人に裸同然で往来する民草の姿を見られては大変、野蛮人と思って侮られると。褌一丁で歩いていた江戸っ子が、散々とっ捕まった。
要はそれと同じだ。列強と異なる太陰暦を使って、物忌みや方違え、妖怪や妖術の類を信じるようでは、これまた野蛮人扱いということだろう。陰陽寮が潰され、天社神道禁止令が出されたのも、概ねそういうことだ。
だが、こういったことは裸の取締りより難しい。お上から駄目だと言われて、これまで信じてきたことを、ぽいと捨てるわけには行かないからな。
陰陽寮が無くなって、陰陽師も表向きは居なくなったが、それまで呪いの類で飯を食ってきた連中が霞と消えたわけではない。それを信じていた民草も同様だ。結局、呪い師どもは野放しに。それを求める民草に応えて、ペテン師、詐欺師も引っ張り凧。我々の任務を正確に言えば、迷信を喰い物にして世を惑わす不届き者を成敗することだ」
「万一、呪いが迷信ではなく、本物だったらどうするのです?」
「知らん。これまで本物はなかったからな。
しかし、本物なら世を惑わしているわけじゃなし、放っておけばよかろう」
「わかりました」
「意を汲んで動いてくれる軍人で、腕の立つ者として貴様を選んだ。何かと荒事も多い。三人で協力してやってくれ。自分は書類仕事ばかりで自由に動けんからな。軍隊と言っても役所だ。何をするにも、書類、書類、書類の山よ」
手近な紙の束を放り捨てて溜め息をつくと、姿勢を正し、気をとり直したように再び話を続ける。
「最初の案件は辻斬りだ。ここ数ヶ月で四人殺された。それも少女ばかりだ。この犯人を処断してもらいたい。世の中、落ち着いてきたとはいえ、いまだ要人の暗殺も起こる時代だ。野放しにはできん」
「はあ、しかし、それは警察の仕事でしょう。なぜ少佐のところへ?」
「警察の手に負えんからだ。貴様は帝都に来て日も浅く、噂も知らんようだが、犯人は神出鬼没、異常な怪力に身のこなし。警戒に当たっていた警察官すら殺されている。
加えて、被害者が腹を裂かれて臓器を抜き取られるという異常な手口から、あれは人ではない、魔性の物だという輩も出てきている。まさに世を惑わす怪事件といったところだ。
新聞でも、海の向こうからやってきた切り裂き魔、あるいは鎌鼬の仕業などと興味本位に書き立てられ、帝都の治安を乱すとして政府の歴々も御立腹の次第。人であろうとなかろうと、世を惑わすものは処断せねばならん」
「犯人の目星は付いていないのですか」
「皆目見当が付かぬ。一度だけ立ち合ったが、確かに魔性のごとき動きで、あと一歩のところで逃げられてしまった。できれば捕縛したいと思っていたので、詰めが甘くなったのだろうな。十五郎、貴様は最初から始末する気で行け」
「少佐が捕らえそこなったものを、俺の手に負えるでしょうか」
「異常な動きに気をつければ大過あるまい。道場においても貴様に敵う者はいなかった。とはいえ、油断せずに対峙することだな」
言って、少佐は正三に木箱を持ってこさせると、中身をテーブルの上にゴトリと置いた。それは人の腕の形をしているが、一面に白い毛が生え、猩々の腕のようであった。
「私が斬り落とした犯人の左腕だ。からくりか魔性の者か義手か。関節の部分で落としたが、腕自体は鉄鋼のごとく堅牢で、銃も刀も歯が立たない。
同じ憲兵上がりの警察官に佐藤英二というのがいる。少々堅物だが、貴様のことは話しておいたから、それなりに助けてはくれるだろう。詳しいことは佐藤に聞け」
「わかりました」
と応じて十五郎は件の腕を手に取った。ずっしりと金属的な重みがある。切断面はつるりとして人の物ではなく、白い毛は、死人の髪のように乾いてごわごわとしていた。嫌な触り心地で、地肌に当たる部分は黒く湿っている。
腕を木箱へ戻し、何気なく手の匂いをかぐと、鼻をついたのは、腐った溝川のような匂いである。
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