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「おはよう。」
結衣は重い瞼を擦りながら、ダイニングに出る。テーブルには既に父親の満島健太がスーツ姿で朝の食事を始めていた。
「おはよう。良い朝だな。」
父は朝から元気だ。いや、いつでも元気なのだ。もうすぐ50歳にもなる父は、15歳の結衣よりもエネルギーに満ちているように思えた。彼は、学生時代ラグビーで培った体力と精神力で、資源会社の役員にまで昇進している。だからこそ、都心の高層マンションの最上階の家を買うことも出来た。広々としたダイニングに、清潔なキッチン。父の部屋と結衣の部屋と書斎が1つづつ。リビングには大きな革のソファと大きなテレビ。28階の窓からは東京を見下ろすことが出来る。東京タワーと東京湾が同時に見えるこの場所では、その位置をグーグルマップで探す必要もない。
”何事も1番が良い”
それが父親のポリシーだった。きっと彼は会社でも1番になる為に、未だに身を粉にして働いているのだろう。野心家である一方で、父は少し抜けていて、お人好しで、そして一人娘の結衣には殊更甘い。父は決して結衣に対して1番になることを強要したりはしなかった。父にとって結衣はそのままで世界で1番可愛い娘なのだ。
「早く食べないと、遅刻するぞ。」
父が言う。結衣に母はいない。勿論、誰にも産みの母はいるのだけれど、それが誰だか結衣は知らなかった。物心つく頃には母はいなくなっていて、父だけがそこにいた。父は男手ひとつで結衣を育てた。父は結衣の母親について語ったことは無い。結衣の方でも母親について聞いたことは無かった。母がいないことは満島家にとって自然なことで、だから敢えてそのことを疑問に思うことすら無かったのだ。そこには父一人子一人で完成された世界がある。それを母がいないという理由で不完全な家庭だと決めつけることは出来ないはずだと結衣は思う。
今だって、結衣の分の朝食も父が作っていた。家政婦さんを雇っていたこともあったけれど、大体のことは父が一人でこなした。普通の男には中々出来ることではない。
「うん。お父さんもね。先、行っちゃって。」
結衣は焼けたトーストにバターを塗りながら言う。
きっともう運転手の柊さんが下で社用車を停めて父を待っているはずだ。柊さんは60代も半ばくらいのお爺さんで、父が役員になってからずっと運転手を務めている。
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