おとしもの

2/3
前へ
/3ページ
次へ
 夏が来るのが遅い年の、やっと夏が来たと感じるようになった頃の話です。  ある日、夕陽が落ちる瞬間が見たくて、私は海岸を散歩していました。もう日暮れ前ですから、昼間あふれるようにいた海水浴客も、遠くの方でテントをたたんでいる人が、一人、ふたりと見えるだけでした。  行くあてもありませんからぶらぶらと砂浜を歩いて行くと、サンダルが片方、落っこちていました。  「おや、誰かの落とし物だ。だけどなんで海に落ちてるサンダルって、いつも片方なんだろう?」  と私は少し笑って(つぶや)きました。  どうして笑ったのかというと、サンダルは両足にはいて帰っていくものでしょう? どうしたら片方だけなくなるのかな、と思ったら、おかしかったのです。  私の声は、独り言にしては大きな声でした。周りに誰もいないと思って、気が緩んでいたのです。  「その理由、知りませんか?」  と後ろから声をかけられました。私の大きな独り言が聞こえてしまったのでしょう。  振り返ると女の人が立っていました。肌の色が白くて、風に揺れる長めのスカートをはいていました。  年は私よりも少し下かな、という印象でした。  けれど彼女がどんな顔をしていたのか、と、それが思い出せないんです。彼女が大きなツバのついた、帽子をかぶっていたせいかもしれません。  でもきれいな人だったんじゃないか、と思いますよ。  「サンダルが片方しかないのは、サンダルが海で亡くなった方のたましいを、あの世に運ぶ船だからなんですよ。でも人のたましいには、足がないでしょう?  だから片っぽうが、海岸に残されるんです」  「そうなんですか……」  私は面白い話だな、と、思って相づちをうちました。たましいには足がないから、なんて、どこか筋が通っているじゃありませんか?  私は彼女の顔をよく見たくなって、帽子の中をのぞき込もうとしました。  しかしその時、海から風が吹きました。  彼女のスカートがふわりとひるがえったので、私は彼女の方を見るのはやめて、海に目を向けました。男性のマナーですからね。    ザザン、と波が打ち寄せて、サンダルが片方、打ち上げられました。  「あら。」  と彼女は言いました。そして打ち寄せられたサンダルを手に取ると、私が見つけたサンダルの横に置きました。  「二つ、(そろ)いましたね。」  なんの気なしに、私は言いました。      
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加