第一章 1

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第一章 1

 萌える緑がずいぶんと落ち着いて、空は鉛色の雲を(たた)えることが多くなった。  もうそろそろ大嫌いな梅雨(つゆ)の季節がやってくる。  この街はただでさえ湿気が多くて朝起きた瞬間から陰鬱(いんうつ)になったりするのに、梅雨(つゆ)ともなれば気分は毎日最悪だ。  僕が生まれ育ったこの街は、つい最近やっと政令指定都市になった。  この街が政令市昇格を目指して声を張り上げ始めた三十年前、世の中は「昭和」と呼ばれていた時代で、当然僕はこの世に影も形も無く、僕の父さんも母さんもまだ高校生だった。  僕が通っているこの大学も、今とは違う名称の大学だったらしい。  元々は外語学校を母体とするこの私立大学は戦後すぐからあって、この街ではなかなかの歴史を誇っている。まぁ、川を挟んでお隣にある旧制中学が母体の国立大学には負けるけど。  僕の父さんはその国立大学法学部の出身だ。  難しい試験にやっとのことで合格して、いま弁護士をやっている。  高校時代、父さんは僕と同じように放送部で、しかも部長だったらしいけど、大学ではなんのサークルにも入らずひたすら勉強に打ち込んだそうだ。  大学を卒業後にいくつかの法律事務所で働かせてもらいながら勉強を続けて、やっとのことで試験に合格。それからしばらくして、僕がまだ小さかったときに市街地の雑居ビルに開いたのが、いまやっているささやかな弁護士事務所だ。  実は、最近知ったんだけど、父さんが事務所を借りているビルは、優花(ゆうか)先輩のお父さんの会社の持ち物らしい。  優花(ゆうか)先輩のお父さんは、地元ではけっこう名の通った建設会社の社長さん。  あのお嬢さまっぽさがどこからきているのかと思っていたけど、地元屈指の建設会社社長令嬢で本物のお嬢さまだったと知って、ほんとびっくりだった。  顔を合わせる(たび)に「もっと勉強して父さんと同じ大学へ行け」って、父さんから言われ続けた高校時代。  父さんの夢は、僕が自分と同じ大学へ行って法律の道を志し、そしていつか自分のあとを継いでくれることらしいが、残念ながら僕にはそんな頭脳は無いし土台(どだい)無理(むり)なのは分かりきっている。  でも大学だけは出てくれって言うから、まぁ、僕は勉強は嫌いだったし、どうせ親に無駄金を使わせて親不孝大学へ遊びに行かせてもらうならって、国立のお(かた)い所は遠慮して自由な校風の私立大学を選んだ。  まぁ、実際正解だったと思う。僕の性格にはよく合っている。  それに、図書館にはあんな可愛い幽霊まで住んでいるし。  僕はあの日から、(がら)にも無く何度も図書館に足を運んでいる。この本嫌いの僕がそんな事するなんて信じられない。  たぶん僕は、もう一度彼女を見つけたい、彼女の本当の姿を確かめたいって思っているんだろう。でもあれから今日まで、彼女の姿を再び目にすることは叶わないままだ。  彼女は本当に「図書館の幽霊」だったのかもしれないって、最近は大真面目にそんなふうに思うようになった。 「何やってんの? 橋本(はしもと)」  部室に(いぶか)しげな声が響いた。サークル仲間の荒木が、不思議そうにこちらを見ている。 「え? あー、荒木か。お疲れさま。ちょっと発掘作業中」 「発掘? なんだそりゃ」  荒木は県外からやって来ている僕と同じ経済学部の二年生で、放送研究部でも僕と同じく「制作課」に属している。
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