346人が本棚に入れています
本棚に追加
/94ページ
「今日、このまま帰るんですか?」
「うん。キミのお父さんちょっと忙しいみたいなんで、今日は会わないってことになったから」
「そうですか。では、まだいろいろお聞きしたいことがあるんで、また近いうちにお顔を拝見させてもらいに行きます。今度は美琴さんも一緒に」
「いいね。いつでもおいで。でも、もう放送部を辞めちゃうんなら、僕に聞くことなんて無いんじゃない?」
「いいえ。これからのほうが聞くこと山盛りです。僕、将来は福祉関係の仕事に就きたいと思ってるんです。聴覚障がい者の人たちの手助けをする仕事がやりたいと思って、それで福祉課の歩さんにいろいろお尋ねしたいなと」
「そうか。別に専門の学校へ行ったりするの?」
「そのつもりです。それで金曜の夜、父さんと美琴さん、それに美琴さんのお兄さんも一緒にいろいろと話をしまして」
「ほう。美琴ちゃんのお兄さんもか」
「はい。僕、その専門の学校には、ちゃんと自分で働いたお金で行きたいって、自分の力で美琴さんを幸せにしたいって、甘いかもしれないけど、そう父さんにわがままを言いまして」
それを聞いた歩さんがゆっくりと口角を上げた。
「そうか」
「でも、大学は辞めるなと言われたので、二部に編入させてもらいます。そして、昼間は美琴さんのお兄さんの会社で、ビルメンテナンスの仕事をさせてもらおうと思います」
「へえ、でも汚れる作業は嫌いだって言ってたのに」
「大丈夫です。頑張ります。それに実はこれ、美琴さんが抜けるのでその穴埋めでもあるので」
「美琴ちゃん、どっか別のところで働くの?」
「はい。美琴さん、父さんの弁護士事務所で助手をしてもらうことになりまして。父さん、これから聴覚障がい者の弁護を積極的にやっていくそうで、その補助をって」
「へぇ、橋本くんが? そりゃすごいな」
「そして弁護士事務所での仕事中は、司書になるための勉強を併せてしてもらうってことで、父さんが知り合いに頼んでいっぱいサポートするそうで」
「そうか。よかったね、美琴ちゃん。……あ、もうここでいいよ。駐車場、すぐそこだから」
「はい。ほんとすいません。わざわざありがとうございました」
「でも、これからが本番だね。創くん、頑張って」
「はいっ」
「じゃーねー。創くん、美琴ちゃん。ずっと仲良くねー」
「お二人を見習いますっ!」
「あはは」
とっても爽やかな笑顔を残して、二人は正門の横の出入口から県立劇場の駐車場へ入っていった。
素敵だな、あんな二人になれたらいいなと、そんなことを考えながら僕はしばらくそこに立ち尽くして、二人の後姿を眺めていた。
ふと気がついて振り返る。
すると美琴さんが伏せていた瞳をぱっと僕に向けて、ちょこんと肩をすぼめて柔らかな笑みを投げてくれた。
どうやら僕の名残惜しさが無くなるのを、ずっと待っていてくれたらしい。
本当に可愛らしい、あどけない瞳。
「ごめん。寂しかったね。さ、戻ろうか。最後の上演の準備もしないと」
美琴さんはちょっと心配そうに「本当に放送研究部を辞めてしまうのか」なんて聞いてきたけど、もう僕は決めたんだ。
放送研究部はとても楽しかった。
でも僕には、もっともっと大切なものが出来たから。
最初のコメントを投稿しよう!