346人が本棚に入れています
本棚に追加
/94ページ
プロローグ
「この大学の図書館には、優しい女の子の幽霊が住んでいる」
ここの学生なら一度は耳にしたことがある話だし、まぁどこの学校にもよくある都市伝説的な逸話。僕が初めてその話を聞いたのは、入学してすぐ入ったサークル「放送研究部」の先輩からだった。
「メガネを掛けてて、すごく可愛いらしいよ? 図書館の鏡の中に住んでいて、学生をいつも見守っていてくれるんだってさ。読書好きな学生が本を読み疲れて転寝してしまうと、こっそり鏡から出てきてコートを優しく掛けてくれるって」
そりゃずいぶんと親切な幽霊だなとか、コート掛けるってんだから冬しか出てこないのかな、なんて考えながら、まぁ本を読まない僕には関係ない話だなって思って、そのときはとりあえず話してくれた先輩に愛想笑いを返した。
僕は読書に興味はない。
だから、そうそう図書館に用件があることもなく、一年生の間、その話はずっと忘れてて、講義で教室を移動するときなど、キャンパスの中央に位置している図書館の前は毎日のように通るのに、僕は一度としてそこへ足を踏み入れることはなかった。
だいたい、あのしーんとした空間はちょっと苦手だ。
自分からすすんで行こうと思うことはない。
そう、……絶対に思うことはないはずだったのにな。
大学生になって二度目の春。
レンガ色を基調としたキャンパスで、新緑の間からきらきらと零れ落ちた木漏れ日に、ついこの前まで高校生だった新入生たちの黄色い声がこだましている。
水曜日の午後は、どの学部も講義が無い。
だから、通常は夕方の五限目の時間から始まるサークル活動も、水曜日だけはまだ午後二時台の四限目の時間から始まる。
午前中の講義を終えて、サークル活動の時間まで何もすることが無くなってしまった僕は、さて昼食をどこか学外に食べに行こうか、それとも学食で軽く済ませて部室で漫画でも読んで暇つぶししようかなんて考えながら、十二号館前の幅広の外階段をとぼとぼと下りていた。
あと少しで階段を下り終えるというところで、不意に背後から声が掛かる。
可愛らしい声だ。
「おおー、橋本くーん、ソウくーん」
振り返って見上げると、何がそんなに嬉しいのか、とびっきりの笑顔をした我が「放送研究部」の三年生、湯浦優花先輩が階段を駆けるように下りてくる。
大学三年、二十歳を過ぎて大人の女性の仲間入りを果たしたというのに、小さな背丈も相まってか、優花先輩は歳不相応にすごく幼くて可愛らしい。明るめのセミロングの髪は大人っぽさを出そうと頑張ってるんだろうが、その一生懸命さが逆に幼さを強調してしまっている。
「ああ、お疲れさまです、優花先輩」
「学食行く? 行くなら一緒行こ?」
「別にいいですけど。でも何度言ったら覚えてくれるんですか、僕は『ソウ』じゃなくて『ハジメ』です。橋本創」
「分かってるよ? あだ名のつもりなんだけど」
「いや、それあだ名と認めないって去年から言ってますよね? 小さいときから読み間違えられてきたからあんまり好きじゃないんで」
「えへへ、ごめーん」
優花先輩はとっても明るくてイヤミが無い。親しみを込めたあだ名のつもりで呼んでくれているのは分かってるけど、イヤなものはイヤだ。
最初のコメントを投稿しよう!