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 事の発端は約半年前までさかのぼる。 在籍していた陸上部の顧問が急病を患って長期入院することになり、代わりの非常勤講師が学校に赴任してきた。芳田と名乗ったその講師は二十代の男で、俺たちの顧問が担当していた科目の体育を受け持つとともに、陸上部の顧問をも受け持つことになった。 まだ若いということもあり、話題が合う生徒たちと打ち解けるのも早かった。おまけにキツめの雰囲気だった体育の授業も割と緩くなり、芳田の人気はうなぎ上りだった。  俺たちの芳田に対する評価が一転したのは、彼が赴任してから四か月が経過した頃だった。  ある日、リレーメンバーにも選ばれていた中学からの同級生、富士が練習中に脚を怪我した。富士は怪我のことを顧問代理である芳田に報告した。だが芳田はこともあろうに何の処置もせずに、 「練習を続けろ」 と言った。富士は言われたとおりに練習に戻り、部長含め俺たちは富士に「無理はするな」とだけ伝えた。  その翌日、やはり脚の怪我が痛むということで、富士は整形外科に行くため休みを取った。  そして次の練習日、芳田は富士に「リレーメンバーを降りろ」と告げた。理由は「部活をサボった」からだそうだ。流石にそれはあんまりだ、と俺たちは芳田に訴えたが、芳田の目には俺たちのことなど入っていない様子だった。  俺は納得しないまま部活に戻った。あまりにも理不尽、あまりにも勝手すぎるその言葉と態度にふつふつと怒りが湧いて出る。こんな感情を人に対して持ったのは初めてだった。  そして、とうとう決定的な事件が起きた。富士の怪我が悪化し、シーズンを超えても治らないと言われるところまで来てしまった。少なく見積もっても完治は一年後。引退試合目前の頃だ。  
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