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 武芸者は相変わらずの速さで歩を進めながら、前方に目を凝らした。土埃の中から駆け出してきたのは、十四、五歳と見える村娘であった。その背後からいくつもの足音が近づいてくる。待て、逃がさぬぞ、などという叫び声も聞こえてくる。やがて娘は武芸者の姿に気づき立ちすくんだ。武芸者は初めて立ち止まり、道を譲るように一歩脇へのけた。娘は小さく頭を下げて、武芸者の傍らを走りぬけようとしたが、倒れた地蔵に躓いて転んでしまった。武芸者は娘を振り返りもしなかった。そのときには、荒々しい声の主たちが目の前に現れていたのである。  武芸者は道の真ん中に腕をだらりと下げて立った。刀に手をかけるわけでもなく、ただうっそりと立っているだけである。娘を追ってきたのは、鎌や鍬を手にした農民の男たちであった。皆、土埃で汚れきって顔の見分けがつかない。ただその目だけが白く、妄執にとりつかれたかのようにギラギラと光っている。  何だ、邪魔をするな、侍なんて怖くねえぞ。農具を振りたてて、男たちは尖った声を上げる。娘は転んだときに足をくじきでもしたのか、立ち上がれずにいる。 「話を、聞こうか」  見た目の若さに似ぬ落ち着いた声で、武芸者はそう言った。 「お助けください」  絶え入りそうな声で娘が言った。 「お侍には関係のないことだ」  男たちの一人がそう言った。 「話は、できぬか」 「この人たちは―― 「黙れ」言いかけた娘の声を、男たちがさえぎる」 「私を人身御供に―― 「雨乞いか」 「はい、逆さヶ淵の(ぬし)に捧げようと」  武芸者は短く鼻を鳴らした。 「つまらぬな」そう言って、土ぼこりの混じる風に目を細めた。 「お侍にはわからねえ。俺らにとっては生きるか死ぬかだ」 「淵に沈められる者にとっては死ぬしかないではないか」     
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