始まりはこうだった、

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始まりはこうだった、

自分のいた、中学のバスケ部は県大会に出てベスト8に入るぐらいのそこそこな部だった(ような気がする)。 僕が中学一年生の時、骨折していた事が原因で苛められ部活の顧問に相談したことがあった。 その時は、先生が苛めをしていた生徒たちだけでなく部員全体に話を聞くことになった。 その後、骨折が治ったこともあり苛めは一時的に無くなった様にみえた。 中学二年生になり、新一年生と共に新たな部員が入部した。 そいつは背が低く体が細いので皆から「もやし」と呼ばれていた。 もやしと僕は小学校の頃から仲がよく休日によくゲームをする仲だったので、もやしが部活に入ったことは僕にとっても嬉しいことだった。 休日や放課後、部活の終わったあとに一緒にバスケをするようにもなった。 しかし、もやしが部活に入ってしばらく経ちまた苛めが始まった。 苛めをするやつはいつも決まっていて周りの奴らもそれを止めずに一緒なって苛めをしていた。 もやしともやしの親は中学三年になりあまりにひどいその現状を部活の顧問に相談することにした。 そんな中、夏が近づき最後の大会が僕らを待ち構えていた。 「来週から部活動の延長をしたいと思う、なので保護者の方の許可をとるために配った部活動延長届けを明日の部活で提出して欲しい」 正直、僕はこの言葉を聞いて呆れていた。 部活内で苛めが起きているにも関わらず特に動きを見せないだけでなく更に夏の大会で上位を目指そうとしている先生の態度は明らかに部の利益しか考えていないようにみえた。 「部活の延長どうする。」 その日の帰りもやしに聞いてみた、 「たぶん、やらないかな。」 「じゃあ俺もやらない。」 もやしのいない部活に意義を感じられなくなった僕は彼の言葉を聞いて即答した。  その日の夜、親には事情を話し、部活動の延長をしないこと、それによって最後の大会で試合に出れる時間が少なくなるなくなる可能性があることを話した。 全てを聞いた親は少しうつむいたあと顔を上げ、「わかった」と言ってくれた。 やはり、中学最後の大会で試合に出る姿を見せられないのは少し心苦しいが、曲げられない意地があの頃の僕にはあった。 その次の日に顧問には話をし、自分の意思をはっきり主張した上で次の週を迎えた。
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