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ハンオウが見つめる先には、森に溶けるように小屋が立っている。屋根に苔、壁に蔦、ガラス窓に橙色の光がゆれる。
ふいに、小屋の前で小さな影が動いた。影は転がるように移動し、止まってはまた動く。
(――なんだ、栗鼠か)
栗鼠は小屋の前で長く立ち止まっていたが、耳をせわしなく動かし、空気の匂いをかぎながら、少しずつ小屋に近づいた。扉の前でいちど背筋を張って、駆けだす。
一陣の風が吹きぬけ、影が形を変える。月光が森にひそむ不穏を照らし出す。栗鼠が向かう樹の根もとに人がうずくまっている。
(インチュアン〈銀川〉め……)
その実力はハンオウも認めるところだが、黒衣でもなく、それどころか破門された身が、任務の頭(リーダー)を勤めることに納得がいかない。
インチュアンは太い眉の下から荒々しい光を湛えた眼差しを空き地に注いでいる。がっしりした顎と首が鍛えぬかれた体を示唆している。
ふたたびの風に影が動き、インチュアンの全身があらわれた。赤や青、金銀の線が煌びやかに走る、白地の作務衣のような衣装を着ている。その上から、腰までの袖のない青一色の短衣を羽織る。肩あたりでざっくりと切った髪を後ろで結んでいる。
(あまりに派手だ)と、ハンオウは改めて思った。(陰務に正装とは呆れる。隠遁の指示だろうに)
栗鼠は、するするとインチュアンの体をのぼり、かたく絞った黒髪の上に立った。
(……完璧な仙息だ)
栗鼠はインチュアンを岩か樹の一部だと思っているのだろう。ひとわたり辺りを見まわすと、幹に跳び移って樹上に消えた。
月夜、風のほかに動くものなし。
ついに、小屋の扉がひらいた。橙色の光が探るように漏れ出て闇を割り、ガスランタンを提げた女があらわれる。夢遊病者のように草地を踏む。
(ジンイエ〈金夜〉。百年にひとりの天才方術士――異名は花皇)
そのジンイエとこれから死合うことを実感して、ハンオウは身震いした。
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