アノヒト

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通勤で使ういつもの電車。 いつもの時間。 その日も相変わらず。 いつもと同じだった。 ……はずだった。 --あれ? 隣でつり革に掴まっている人が。 見覚えのある横顔。 ……似ている。 数年前に一緒に働いていた人。 密かに想っていた人。 優しい人だった。 気遣い上手で。 いつも周りをよく見て。 空気を読んで。 場を和ませて。 一人でいる人を放っておけずに。 話し掛けてくるような。 そんな人。 物静かで落ち着いているのに。 気付くとみんなの輪の中にいて。 誰からも好かれるような。 アノヒト。 「…………さん」 私の名前を呼ぶ声は覚えている。 低いボイス。 滑らかなイントネーション。 一言でいいから。 言葉を発してくれたらわかるのに。 ……無言。 せめて正面から顔を見たいけれど。 もし違っていたら……? ただの『変な人』だ。 どうしよう。 連絡先を交換していれば。 着信のタイミングで本人かどうかわかるかも……。 そう。 『交換していれば』の話。 もちろん。 交換出来るくらいの親しさだったら。 今こんなことで悩むことなく。 まっすぐに声を掛けられたのに。 本人だったら……? 本人じゃなかったら……? 本人だったとしても。 それほど親しくもなかったのに。 もう何年も経つのに。 今さら声を掛けられても。 ……困るんじゃない? 「次はァ~…………駅。…………駅」 アナウンスが流れ。 最寄り駅に辿り着く。 電車を降りる間際。 ちらりとその人を見た。 「…………あ」 一瞬。 ほんの一瞬、視線が絡んで。 驚いたような表情を浮かべた。 と、同時に。 無情にも扉が閉まる。 結局。 アノヒトだったのか。 アノヒトではなかったのか。 確かめる術もなく。 いつかまたまた会えるといいな、と。 淡い期待を残しつつ。 今日も電車で。 「アノヒト」を探している。
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