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見知らぬ男が、自分を見て自分と同じように驚いている。鈴は混乱した。またもや、見えないはずのものが見えているのだろうか、と。
だがそうではなかった。反対のホームの若い男は、驚いた顔のまま去った電車の方を指差し――ミタ? と口を動かした。
距離があるので、声が聞こえたわけではない。けれど鈴には読めた。男は、見た? と確かに訊いてきた。
なにを? と思わず訊き返しそうになったところで、鈴の側のホームに電車がやって来た。
鈴は激しく混乱し動揺していたが、周りの乗客に流されるようにその電車に乗り込んだ。元々、この電車に乗らなければアルバイトに遅刻してしまうので、鈴に選択肢はなかった。
反対のホームにいた、若い男の正体が気にならないわけではなかった。彼は他の人にも見える人なのか、そして、彼は“なにを”見たかと自分に訊ねたのか――。
(まさか、な……)
鈴は電車の中ほどまで進み、吊り革を掴んだ。その手が微かに震える。
自分と同じものが、同じ“なにか”が見える人間など、この世にいるはずがない。
それは何年も前に悟った真実だ。
その思いは揺るがないはずなのに、鈴の心は激しく揺り動かされていた。
吊り革を掴む震える右手を、反対の手で強く掴んだ。手の震えを押さえこみ、心の震えも収まるように――。
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