第一章

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 あたしをからかって何になるんだよ。ぶつくさ言いながらあたしは、髪の泡をシャワーでそぎ落とす。そして桶に溜めた水を頭からかぶり、精神のブレを直す。よし、洗浄は終わったから、このままそさくさと脱衣所へ逃げ込もう。  と思ったのだが、立ち上がったところで、ミツキの腕が鷲掴まれた。その先にはとろんした笑顔の龍子がいる。 「お風呂につからないの? 一緒に入ろうよ」  その腕を振りほどくことは、容易かった。はずなのに。 「ね」  結局、あたしは名付しがたい力に屈した。  龍子が身体を洗う間、ずっとあたしは湯船の中で素数ではなく敢えて円周率を数えてみた。だが努力は空しく3.14の繰り返しになる。π、パイか。ぱいぱい……。  混乱するあたしをよそにして、とうとう龍子も湯船に入ってきた。あたしの隣に腰を落ち着けた龍子は独白を始める。 「今日はありがとう」 「う、おう」  あたしの生返事を聞いてから、龍子はあたしの方へとすり寄ってきた。幻影が渦巻いて、湯船に虹色の靄を映し出す。 「ミツキはわたしのことをわかってくれてる。助けてもらった時からずっと胸が張り裂けそうなんだ」  そりゃ張り裂けそうにもなるわなー。あたしはマトモな思考を失いかけつつあった。 「ミツキがさ。家の事情でこういうことに乗り気でないのもしってる。それに、初めてだし卑怯かもしれないけどわたし」  艶めかしく濡れた髪から、水滴が龍子の頬をつたい、その大きな胸へと落ちていく。龍子の表情には緊張と高揚が入り混じり、頬は真っ赤にほてり目は潤んでいる。  そして、龍子はミツキに抱き付いてきた。その豊かな膨らみが、ミツキのそれとぶつかって柔らかく形を変える。この二の腕に押し付けられた突起は。つまり。 「ねえ。わたしとジャックインしよーよ。ぺイルアウトして元の身体で、さ」  ぺイルアウト、つまりミツキから脱出して元の肉体に戻ること。あたしは、なにかがほどけて消えてゆくのをはっきりと感じ取っていた。  言われたままに右手を押さえて、あたしはぺイルアウトしようとした。その寸前のことだ。いきなり原付バイクが浴場の仕切りをぶち破りながら乱入してきた。
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