3.開港式

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 救助を待つ間、翔はネクタイやハンカチを使って、福住大臣の大腿部と右腕に止血措置をし、大臣の名前を呼び続けた。わずかな時間だったが、翔には永遠とも思える長さだった。「早く助けに来てくれ」。翔は祈った。と同時に、翔は子供時分のある出来事を思い出していた。それは中学生の時だ。学校からの帰宅途中、河原の土手を自転車でのんびりと走っていると、二百メートルほど前方の川で誰かが溺れていた。翔は自転車をその場に捨て、川岸まで駆け、川に飛び込み、その男を救出した。大学生風のその男は、カヌーで川下りをしていたが、パドルの操作を誤り、川の中の岩に激突、水中に投げ出されたのだ。翔が川から引き上げた時、彼は息をしていなかった。心臓の鼓動も感じられなかった。救急車が到着するまで、翔は必死に心肺蘇生をした。その時も今と同じように、世界の中に自分がたった一人で取り残されたような孤独感を味わった。もちろん心肺蘇生などというものをしたのは、その時が初めてだった。孤独感を振り払うように、人工呼吸や心臓マッサージをした。周囲の音はまるで耳に入らなかった。世界は翔と死にかけていた大学生の二人きりだった。 永遠にも思える数分の後、装甲車が散乱する空港資材の破片を踏みつけて現場に乗り入れてきた。翔は大きく手を振り、大臣の存在を伝えた。装甲車から飛び降りた機動隊員は、後部ハッチを開けて、福住大臣を収容し、すぐに走り去った。翔は膝間づいたまま装甲車のテールランプを放心状態で見つめていた。ふと振り返ると、つい数分前まで、存在を誇示するかのように燦然と輝いていたターミナル正面のガラス壁には、直径三十㍍ほどの穴が不健康な獣の口のように開いていた。そこからは炎や煙がまだ吹き出ていた。翔のすぐ近くでは、血だらけの藤川が膝をつき、呆然としていた。その脇に中務首相が倒れていた。絶命しているのが、一目で分かった。
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