4.不可解な誘い

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 福住光太郎は北海道旭川市の出身。後で知ったことだが、翔とは同じ市内というだけでなく、町内会まで同じという全くの同郷だった。年齢は翔より二十四歳年上の四十九歳。政治家としては若い部類に入る年齢だが、衆院当選はすでに四回を数え、中堅議員に位置付けられている。初入閣は二年前、第一次中務政権だった。ポストは新設の「宇宙開発担当特命大臣」。宇宙開発部門を文部科学省から独立させることには、文科省はもちろん、与党内からも大きな反発があったが、中務首相は強引に押し切った。それ故に、与野党を問わず、就任後の福住には何かと風当たりが強かった。それが頂点に達したのは、今回の事件の舞台となった宇宙港だ。中務内閣は就任後間もなく、国内でのスペースプレーンの建造と数兆円規模の予算が必要な宇宙港建設案を、二年という短期間で完成させる計画を打ち上げた。当然、この計画には与野党から猛烈な反対が沸き起こった。それもそのはず、日本はここ十年ほど、予算をまともに組めないくらいに財政赤字が深刻な状況にあり、世界中に頼み込んで国債を何とか買ってもらっている二流国に成り下がっていたのだ。「金食い虫」と揶揄された宇宙港担当の福住大臣には当然のように激しいバッシングが浴びせ掛けられた。兆の単位になる宇宙港の関連予算案は、野党ばかりか与党からも一斉攻撃を受けた。予算案を審議する通常国会は、会期の半ば過ぎまで宇宙港予算案が否決されるムードが支配的だった。事態は予算の組み替え動議がだされる直前まで悪化し、首相がこのまま予算案を押し通せば、解散か内閣不信任という状況にまで至ったが、なぜか土壇場になって大逆転し、衆参両院を僅差で通過した。世界の主要国が日本と同じように、スペースプレーン発着場の建設計画を次々と打ち上げたことも、逆転理由の一つに挙げられた。 「日本だけが世界の、いや宇宙の趨勢から取り残される訳には参りません。これはたった二年の事業ではないのです。わが国の百年、いや千年先を左右する大計であります。今やらなければ、時機を失し、取り返すことは永遠に不可能になるでしょう。私は担当大臣として、政治家として、この事業に生命を賭す覚悟であります」。 福住が、予算委員会で決然と言い放った姿は、何度もテレビで放送された。この予算通過の功績で、政治家として名を上げ、半年前の内閣改造でも、特命大臣を留任していた。
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