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いつものように、耀と和久は庭にいた。季節は今、春を待っているところ。彼女の庭では、やがて桃の花が咲くだろう。次第に暖かくなってきた風が心地よい。
耀は裸足で大地を踏みしめ、大きく息を吸い込んだ。
「あぁ、なんだか春の匂いがするわ! 春は好きよ。なんだか、これからいいことばかり起きる気がする! ねぇ、和久もそう思わない?」
くるりと振り向いて彼に見せた笑顔は、まるで光を放つ花のよう。和久は眩しげに目を細めた。
「そうだな。もうすぐ春だ。もっとたくさんの花が咲くだろう」
「そうしたら、またどんな花か教えてね!」
彼女の屈託のない笑顔が悲しかった。何も知らない、汚れない彼女が愛おしくて、胸に痛かった。
「あぁ。……きっとこれからは楽しいことばかりが待っているよ。そうだ! 今度俺が、耀の知らない花を見つけてきてやるよ」
「本当? 嬉しい! 和久、大好きだわ!」
そう言って、耀が無邪気に彼の胸へ飛び込む。それは子供のときからの彼女の癖だ。
「あぁ……俺も、耀が大好きだよ」
和久の声は低くかすれていた。耀は彼の胸に顔を埋めていたが、怪訝に思って顔を上げる。すると、大粒の雫が彼女の頬に降ってきた。
「あ、雨だわ」
空を仰ぎかけた彼女を、和久は強く抱きしめた。耀の白い頬を、幾つもの和久の涙が濡らしてゆく。
「和久、どうしたの?」
和久は、彼女の目が見えなくてよかったと生まれて初めて思った。
「和久……?」
困惑している彼女を、もう一度抱きしめる。
明日、自分が死ぬことを知っていた。
あと一刹那でもよかった。
『光』を見つめていたかった。
耀を抱いていたかった。
「雨だ。内に入ろう」
その言葉に、耀は屈託なくうなずいた。和久は覚悟していた。彼は、ただ静かに泣いていた。
「俺の存在価値は、結局こんなモンなんだよな……」
彼の呟きは、耀には届かなかった。
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