悲しき舞子、狸奴

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 待っていた? 私を?  思わず眉間に皺を寄せ、周りを見回してみたが当然ここには私しかいない。 「……ま、待っていたって? どういう事?」  そう聞き返すと、青年はすっと両手を膝の前に着き深く腰を折って土下座をする。 「え?! ちょっ……」 「私は狸奴(りと)と申します。そしてあなたは……」  慌てふためく私をよそに、狸奴と名乗った青年は静かに体を起こして膝の上に手を置き、姿勢を正したまま落ち着いた声音で表情を変える事もなく淡々と話す。 「私の主の血を引く、黒川の末裔でございます」 「……え?」  何を言っているのか、正直よく分からなかった。  黒川? 黒川って誰? 私の名前は藤岡だし、黒川なんて苗字じゃない。  でも、目の前にいる狸奴は冗談を言っているようではないし、こんな冗談を言うような人ではなさそうだ。 「私がここに棲みついて早400年あまり。下界の村や住む人間たちの姿かたちは変わってしまいましたが、ここの社は江戸の時代から何ら変わりはございません」 「よ、400年……? あなたは400年もここにいるって言うの?」 「はい。私はこの村と土地、人々を守ると主との誓いの元で400年に渡り守って参りました。そして再びこの地に、主の血を引く者が現れる事を信じて待っておりました」 「……」  俄かには信じられないような話だけれど、でも今から400年前は確かに江戸が始まったぐらいの頃だ。それに見るからにただの猫ではないのは分かる。つまり、妖怪とかそういう部類に属しているってことも、何となく……。その頃から彼はずっとここを守ってきたと言うのだろうか。
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