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同じ言葉、匂い……思い出される記憶
加奈子の前から消えた狸奴は、その場から立ち去ったのではなく猫に姿を変えて屋根の上にいた。
うろたえている加奈子を見下ろして浅いため息を一つ吐く。そして今一度空を見上げ満月を見た。
今日はいつになく大きくて綺麗な満月だ。
そう、主がいなくなってしまった、あの時と同じ……。
その月を見上げたまま目を細めた狸奴は、そっと目を閉じる。
懐かしい主の匂いに触れて思い出す。遠い昔の主の事を……。
『幸之助』
こちらを覗き込む、人懐っこそうな目とざんばらに生やした無精髭。二ッと笑うと見える白い歯。
両手でそっと壊れ物を扱うかのように抱き上げられて胡坐をかいた袴の上に乗せられ頭から背中にかけて暖かく大きな手が、優しくゆっくりと撫でて行く。
それがとても心地よくて、ついうたた寝してしまいたくなる。
『幸之助はまっこと、ぬくいねゃ』
喉をくすぐる手に、思わず喉を鳴らしてしまう。
いつも穏やかで笑みが絶えない主の声は、耳に心地よい低音でとても落ち着く。
日頃から穏やか過ぎて、声を荒らげるような事もほとんどなかった主……。
そう言えば、その主に出会ったのはいつ頃だっただろうか。
あれは偶然……いや、奇跡だったと言ってもいいのかもしれない。
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