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 そして、十五歳のときにある芸能事務所から連絡があった。 「そのときほど嬉しかったことはないわ。だって、やっと私の身体と心にぴったりと寄り添う名前で呼んでもらえる場所に行けるって思ったんだもの。ちょうど良い名前にたどり着いたときでもあったの。――歌川美紗子。素晴らしく、良いわ。丹田ノブなんて名前は山奥の誰にも気づかれないようなところに埋めてきたかった。ずっとそれだけを願って生きていたのよ、十五年も。でも、私はそれを埋めてきたの。もうそんな哀れな名前の女の子はこの世にいない。女優・歌川美紗子がいるだけなの。なんて素晴らしいんでしょう」  まるで薄暗い舞台に立ち、自分にだけライトが当たっているかのように(顎もすこしだけ反らし気味にさせていた)、母さんはそう言った。それから、台詞を聞いた観衆が感動の余韻に浸っている程度の間をあけて、真顔になった。 「そりゃ、芸能界ってのは厳しい世界よ。何度も小突きまわされたわ。常にその場で結果を求められてきたし、恥もたくさんかいた。でも、そんなのはまったく気にならなかった。あの考えるだにおぞましい名前で呼ばれなくなったことが嬉しかったのよ」
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